長崎原爆の爆心地から約1.2kmの場所にある穴弘法奥之院霊泉寺。当時、逃げ場と水を求めて多くの被爆者が押し寄せ、そのまま息絶えた13人は寺に埋葬された。今月9日の平和祈念式典で原爆犠牲者にささげられた水には、この寺から運ばれた湧き水も含まれていた。寺の本堂には原爆の記憶を後世に残そうと、あの日が描かれた18枚の水彩画が展示されている。絵を描いた被爆者の堤寛子。寺の長女だった堤は5歳のとき、寺の奥の岩穴で原爆に遭った。被爆したとき、堤がいた実際の岩穴には、堤のほか母や弟は無事だったが、自宅のはりの下敷きとなった祖母のテイは亡くなった。しばらくして岩穴から外へ出ると、信じられない光景が広がっていた。岩穴に流れる湧き水は当時、けがや病気が治ると信じられていた。あの日、原爆の熱線で体を焼かれ、焼けただれた人々が求めたのはこの湧き水だった。戦後、寺に建てられた平和観音。堤は絵筆をとって原爆で亡くなった人々の霊を弔う。長崎市江平一丁目、穴弘法奥之院霊泉寺、寺での遺骨の発掘作業、長崎平和祈念式典、堤がいた岩穴、金比羅山・長崎市、平和観音の映像。住職・堤祐心、被爆者・堤寛子のコメント。