声楽家の浅岡節夫さんは94歳にして今も歌い続けている。1945年3月10日に東京大空襲に襲われ富山に疎開したが、8月2日は富山大空襲を経験した。浅岡さんが音楽を始める切っ掛けとなったのは兄の正樹さんの出征で、戦時中もレコードを聞かせてくれた正樹さんが向かう時には涙を流しながら送った、兄がさようならとひとこと言ったことを振り返った。兄の帰りを待ったものの、浅岡さんの元には小さな骨の入った箱が届いた。昭和20年8月11日に北京にて戦死したとされる。そして、行われたコンサートは平和への祈りをテーマにしていて、原爆の痛ましさを嘆いた曲では自ら指揮も行った。浅岡さんは「80年前はひどい戦争があった そこで苦しんだ人たち 亡くなった人たちのことを改めて思い出してくれたんじゃないか」と振り返った。