長崎の浦上天主堂から上野暖登が中継。こちらではつい先程までミサが行われ犠牲者に追悼の祈りを支えていた。こちらの教会は全壊し戦後再建されたが今も壊れた建物の一部が残っているという。壊れた鐘が被爆80年の今年、復元された。復元した鐘に込められた思いを取材した。
長崎・浦上天主堂で先月17日、復元した鐘を祝福する式典が行われた。復元を提案した被爆2世の森内浩二郎さん、鐘を寄贈したジェームズ・ノーラン・ジュニアさんの二人のやり取りをきっかけに鐘は復元された。2つの鐘が取り付けられたのは今からちょうど100年前。鐘の音は信者や地域の人達の拠り所になっていたが、1945年8月9日の原爆投下によって浦上天主堂は全壊。信者約8500人が犠牲になった。鐘の1つはほぼ無傷で見つかったが、もう一つは大破していた。幼い頃から1つの鐘の音だけを聞き続けてきた森内さんは、被爆した父親の話から鐘の復元を願っていた。森内さんは2年前、長崎を訪れていたノーランさんに話を持ちかけた。一方、ノーランさんは祖父がマンハッタン計画に参加した医師だった。アメリカに帰国後、各地で講演を行い、カトリック信者など600人余りから寄付金を集めた。ノーランさんは、アメリカのカトリック信徒の悲しみや後悔などの思いが込められています、などと話していた。こうして復元された鐘は、今年5月に一般公開された。森内さんがノーランさんに話を持ちかけてから2年、原爆投下から80年の時を経て、2つの鐘が揃った。二人は鐘が平和の新たな象徴になることを願っている。きょうこの後、原爆が炸裂した午前11時2分に、平和の音色を響き渡らせる。
長崎・浦上天主堂で先月17日、復元した鐘を祝福する式典が行われた。復元を提案した被爆2世の森内浩二郎さん、鐘を寄贈したジェームズ・ノーラン・ジュニアさんの二人のやり取りをきっかけに鐘は復元された。2つの鐘が取り付けられたのは今からちょうど100年前。鐘の音は信者や地域の人達の拠り所になっていたが、1945年8月9日の原爆投下によって浦上天主堂は全壊。信者約8500人が犠牲になった。鐘の1つはほぼ無傷で見つかったが、もう一つは大破していた。幼い頃から1つの鐘の音だけを聞き続けてきた森内さんは、被爆した父親の話から鐘の復元を願っていた。森内さんは2年前、長崎を訪れていたノーランさんに話を持ちかけた。一方、ノーランさんは祖父がマンハッタン計画に参加した医師だった。アメリカに帰国後、各地で講演を行い、カトリック信者など600人余りから寄付金を集めた。ノーランさんは、アメリカのカトリック信徒の悲しみや後悔などの思いが込められています、などと話していた。こうして復元された鐘は、今年5月に一般公開された。森内さんがノーランさんに話を持ちかけてから2年、原爆投下から80年の時を経て、2つの鐘が揃った。二人は鐘が平和の新たな象徴になることを願っている。きょうこの後、原爆が炸裂した午前11時2分に、平和の音色を響き渡らせる。