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「長嶋茂雄さん」 のテレビ露出情報

火曜日「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんが亡くなった。「やきゅう」とも読める89歳だった。1958年、立教大学から巨人に入団。王貞治さんとの「ONコンビ」で敗戦の色が残る日本にプロ野球ブームをもたらした。「野球は静のスポーツだから、自分のアクションや表現力を意図的に発揮したい」と言う考えから、三振しても喜んでもらえるよう大きめのヘルメットを着用。豪快にバットを振ってみせた。また守備もみてほしいという思いから、ショートの守備範囲のゴロも取りに行った。投げた後の右手を伸ばす動きは歌舞伎の見得をヒントにした。38歳で現役を引退した長嶋さんは巨人の監督に就任しても人気が衰えなかった。ジャンパーを脱ぎ背番号3を見せただけで大歓声が湧いた。地獄のノックは長嶋ショーでもあった。選手と一緒に走り、スライディングも実演してみせた。自転車に乗ると報道陣を置き去りに走り去ってみせた。
長嶋茂雄の人生は逆境からのスタートだった。プロ1年目、最初の試合は国鉄の金田正一の前に4打席4三振。それでもl17年の現役生活で首位打者6回、ホームラン王2回、打点王5回、MVP5回を獲得。1959年、初の天覧試合ではサヨナラホームランを放った。一方監督としても1年目は巨人史上初の最下位に沈んだが、15年の監督生活でリーグ優勝5回、日本一に2回輝いている。松井秀喜を育成するために「1000日計画」と銘打ち、素振りの猛特訓が繰り返された。唯一の心残りはオリンピックの代表監督だった。2004年のアテネ五輪出場のため、前年に監督就任。予選では3連勝で出場を決めたものの、開幕3か月前に脳梗塞に倒れ、監督続行を断念した。「寝たきりも覚悟して欲しい」と主治医に言われたが、その後は壮絶なリハビリを経て翌年から東京ドームで試合観戦できるまでに回復した。監督して五輪出場する夢は叶わなかったが、2021年の東京オリンピックでは聖火ランナーとして王さん、松井さんとともに参加した。2001年、記者から「長嶋茂雄にとって野球とは?」と言う質問をされた際は「人生そのもの」と答えた長嶋さん。現役引退の際は「巨人軍は永久に不滅」と言う名言を残した。長嶋茂雄は巨人の星となり、輝き続けている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年3月10日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!SPORTS
3連勝で準々決勝一番乗りの侍ジャパン。ZIP!が試合を観戦したファンに聞いたここまで3試合のMVPは、今回打率5割・ホームラン2本の侍ジャパンのマッチョマン・吉田正尚(32)。日曜日、天覧試合となったオーストラリア戦。6回まで3安打に抑えられ侍ジャパンは大ピンチ。67年前、長嶋茂雄さんが天覧試合でホームランを打った午後9時10分と同じ時間に奇跡の逆転ホームラ[…続きを読む]

2026年3月9日放送 22:00 - 23:00 日本テレビ
WBC詳報(WBC詳報)
1959年の巨人vs阪神の試合。この日はプロ野球市場初の昭和天皇が観戦された天覧試合が行われた。9回裏に長嶋が打席に立ったが、昭和天皇の退出時間は9時15分。あと5分という時に長嶋が立つとサヨナラホームランを放った。今回のオーストラリア戦も天覧試合が行われ、4番の吉田正尚がホームランを放った。その時刻は9時10分だった。吉田正尚はホームランに振り切れたと答え[…続きを読む]

2026年3月9日放送 15:42 - 19:00 フジテレビ
イット!(ニュース)
WBC連覇へ向けて、侍ジャパンは1次ラウンドを首位通過で準々決勝進出を決めた。またきのうのオーストラリア戦はプロ野球で60年ぶりの天覧試合となった。試合は6回、侍ジャパンにミスが出て先制点を奪われる。しかし7回に吉田正尚が逆転となるホームランを放つ。その後2点を追加した侍ジャパンが接戦を制し、3連勝で1次リーグ1位通過を決めた。侍ジャパンはあすチェコ戦に臨む[…続きを読む]

2026年3月9日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおび(ニュース)
きのうは約60年ぶりの国際試合における天覧試合。天皇皇后両陛下と長女・愛子さまがWBC1次ラウンドの日本対オーストラリア戦を観戦。前回WBC監督・栗山英樹さんの説明に耳を傾けながら観戦。試合後は並んだ選手らに立って拍手を送られた他、スタジアムの観客に何度も手を振られていた。ちなみに、1959年6月のプロ野球の天覧試合、巨人vs阪神9回ウラで長嶋茂雄選手がサヨ[…続きを読む]

2026年3月5日放送 4:05 - 4:15 NHK総合
視点・論点(視点・論点)
3月5日にWBCが開幕する。第1回大会で優勝経験をもつ宮本慎也氏に大会の見どころや日本への期待を聞く。宮本氏がプロ入りした当時は世界を目指している選手はあまりいなかったが、大会を重ねていって野球選手も世界に目を向けるようになっていった。第1回の日本は機動力重視の「スモール・ベースボール」だった。宮本氏は「当時はそれができないと世界で勝てないと思い込んでいたが[…続きを読む]

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