ダイバーが調査のため海岸側の通気口から潜った。山口県宇部市にあった長生炭鉱。当時の写真を見ると海岸から伸びた線路にはトロッコが走り、船に向けて石炭を運んでいる様子が分かる。いまも海上に残る「ピーヤ」と呼ばれる2本の通気口は全国でもここにしか残っていない。事故が起きたのは1942年2月3日。入り口から1km以上沖で天井が崩れ、坑道は水没。183人が犠牲になった。1991年から活動を始めた地元の市民団体。ピーヤの保存や追悼集会の開催などを行ってきた。ことし、クラウドファンディングで集めた資金で掘削工事に着手。坑道の入口を発見。183人のうち47人が日本人、136人が朝鮮半島出身者。宇部市は石炭産業によって飛躍的に発展した町。事故が起きたのは日本軍による真珠湾攻撃から2か月後。先週土曜日坑道の入り口で追悼式が行われ、日本と韓国の遺族が駆け付けた。韓国遺族会・楊玄会長は「喜びに浸っている時間はない。犠牲者はまだあの中にいる」など話した。