大邱広域市などからかつて多くの人が日本にわたり労働力とされた。山間の村からは7人が長生炭鉱で働きに出ていたが全員が水没事故で犠牲となった。キムさん兄弟は事故で叔父を亡くした。その事実を知ったのは事故から半世紀後の1991年、市民団体が遺族に出した手紙。韓国遺族会が発足した。2024年7月、遺骨収集に向けた潜水調査を27年ぶりに実施することにした。前回は岸に近いピーヤだったが、今回は沖のピーヤから潜水し遺骨があるとされる本坑道まで辿り着けるかを調べる。27年前は濁って何も見えなかったが、今回は視界50cm。潜り始めて5分、行止ってしまった。2024年9月、遺骨収集は新たな段階に。本坑道を見つけるため掘削工事に着手した。掘り進めるとコンクリート片がいくつも出てきた。大量の水が出てくると抗口と見られるものが姿を表した。だが一般的な抗口とは違った。長生炭鉱の抗口の写真はなく本物か確信がない。