神戸市を本拠地としていたプロ野球・オリックスブルーウェーブは、阪神淡路大震災があった1995年“がんばろうKOBE”というスローガンを掲げリーグ優勝。多くの被災者を勇気づけた。実は当時の関係者には、心に刻まれている敗戦がある。復興に大切なことを気付かされたという試合。当時の外野手・田口壮さんは、その試合の独特な雰囲気を今も覚えている。超満員のスタジアム、マジック1で迎えたこの日の試合は、本拠地でリーグ優勝を決める最後のチャンスだった。震災で傷ついた多くの人が、歓喜の瞬間を心待ちにしていた。試合は2点リードの8回、マウンドに上がったのは守護神・平井正史投手。この年、高卒2年目ながら15勝27セーブという驚異的な成績を上げ、まさに快進撃の立役者だった。この試合をパブリックビューイングで観戦していた小林幹志さん。高校生のとき芦屋市内で被災し、自宅は半壊。3か月にわたって親戚の家などに避難を余儀なくされた。しかし、自分より深刻な被害に遭った人がいる中、苦しい思いを吐き出せない日々を送っていた。そうした中、心の支えとなったのが“がんばろうKOBE”を掲げ、快進撃を続けるオリックスだった。オリックスの野球を見ると被災したつらさから離れられ、前を向く力をもらえたという。地震から8か月、あらゆる逆境を耐え抜いてきた頑張りを被災地で共にたたえ合いたいとの思いで観戦していたのがこの試合だった。しかし、平井投手がピンチを招き、8回、ツーアウト満塁。上がった打球を捕ればピンチを切り抜けられる、飛び込んでいたのは田口さんだった。自分が未熟なせいで失点を防げなかった、その悔しさが今も残っている。オリックスは逆転負けし、本拠地での優勝はかなわなかった。しかしマウンドを降りるとき、平井投手に大きな拍手が起きた。敗戦の中で起きた拍手に、田口さんは大切なことを教わった。「人の絆、つながり、助け合い、思い、全部詰まってたかな。助け合いながら前に進むっていう、震災の復興において大事なこと、念頭に置かないといけないひとつが“がんばろう”だよっていう、みんなでなんとかしていく」と述べた。震災から30年。球団では当時の写真展を計画している。発案者は震災当時からの球団職員、花木聡さん。チームと共に歩んだあのときの被災地の姿を知ってほしい。花木さんの願い。