TVでた蔵トップ>> キーワード

「中野学校二俣分校」 のテレビ露出情報

戦争が既に遠い過去になりつつあった1970年代前半、南方戦線で戦死したと見られていた元日本兵が次々と発見され世間は騒然としていた。最後に発見された中村輝夫は30年間、インドネシアのジャングルに潜伏していた。しかし中村が台湾の先住民出身であったことから当時メディアの扱いは控え目で、日本政府の対応も明らかに異なり、政府からは僅かな見舞金が出されただけで、直接台湾に送り返されていた。台湾に戻った中村は30年の溝を埋めることが難しく暴飲暴食を繰り返すなど荒んだ生活を送り、その4年半後に肺がんのため59歳で亡くなった。台湾・台東には中村の遺族が暮らしており、遺族の家には中村がジャングルで過ごした孤独を象徴する品々が保管されていた。中村の孫である李は、生前の中村が日本に行きたいと話していたなどと明かした。軍人として当然受け取れるはずの恩給も日本国籍がないがために支給されず、中村のような台湾先住民は「高砂族」と呼ばれ、身体能力の高さを買われ、南方のジャングル戦に投入されていた。元将校の井登慧は中野学校二俣分校の卒業生で、学校では生き抜いて戦う術を学んできたという。井登は当時「高砂族」を率いて台湾でゲリラ戦に挑む構えを取っていたが、アメリカは沖縄へ進軍したため井登たちは一度も戦わずに終戦を迎えた。井登は日本のために戦った「高砂族」にはなにかしてあげるべきであったが当時の政府は何もしなかったなどと明かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年12月28日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日日本の今がわかる!激動の100年ニュース
1972年10月にフィリピンで旧日本兵とフィリピン警察との間で銃撃戦が発生し、小野田寛郎少尉が逃亡した。日本政府は現場となったルバング島に捜索隊を派遣したが、小野田さんの捜索は難航した。小野田さんはスパイの養成機関・陸軍中野学校の二俣分校の出身。同期だった井登慧さんは「生き延びて任務を完遂せよと命令された」などと話した。小野田さんは二俣分校での教育の影響で「[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.