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「首里(沖縄)」 のテレビ露出情報

ブラジル移民を祖父母に持つ県系3世の国吉マウラさんはJICAが行った研修に参加するため去年沖縄を訪れた。目的は自身のルーツを知ること。滞在中に沖縄に住む親戚を探し当て会うことが出来た。マウラさんの叔父の國吉眞文さんは、両親がブラジルに渡った昭和4年に沖縄の祖父のもとに残されたが、その後のことは沖縄戦で亡くなったとしか分かっていなかった。ブラジルの親族が高齢化し自身のルーツである沖縄とのつながりが薄れつつあることも感じていた。調査に協力したのが沖縄県立図書館で、移民ルーツ調査の先進的な取り組みで知られている。移民1世の足跡をたどるサービスを無料で提供しており約6万件のデータベースに4つの言語でアクセスできる。マウラさんの祖父母は昭和4年7月24日に神戸港を出発してブラジルへ向かっていた。本籍地などから成長した國吉眞文さんの姿が見つかった。沖縄戦時、旧制県立第一中学校にて鉄血勤皇隊として軍に動員されていた。國吉眞文さんは沖縄戦で18歳で亡くなっていた。マウラさんは生徒たちの最期についても聞き、生徒や教師307人が命を落としており、17歳の叔父が綴った遺書も目にした。研修の成果発表の日、マウラさんは鉄血勤皇隊の生徒の遺書や生存者の証言をポルトガル語で伝えるプロジェクトについて語った。マウラさんは、この物語は戦争と眞文さんと今までの家族の歩みだと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月12日放送 18:00 - 18:55 日本テレビ
真相報道バンキシャ!NNN戦後80年プロジェクト いまを、戦前にさせない
いまから80年前、米国軍に撃沈され、乗っていた1000人を超える15歳以下の子どもたちが犠牲となった「対馬丸」。桝太一が、対馬丸が攻撃される瞬間を別の船から見ていた方を取材。何が生と死を分けたのか。自身の体験と思いをカメラの前で初めて語った。那覇市首里で暮らす89歳の源河圭一郎さんはあの日、海に沈んでいく対馬丸を、別の船から見ていたという。沖縄に戦火が迫って[…続きを読む]

2024年12月27日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース列島ニュースアップ 沖縄局
琉球史研究家・賀数仁然さんと取材。八重瀬町へ。「唐人そば」を紹介。沖縄のそばの始まりは明治時代。当時中国で食べられていたしょうゆ味の麺がルーツといわれている。県内の食品会社が調査した明治、大正ごろの「沖縄そばに関する調査報告書」には、職人たちが腕を競った記録が記されていた。1944年10月10日の大規模な空襲、地上戦が沖縄を襲った。那覇の9割が焼かれ、そば屋[…続きを読む]

2024年6月23日放送 0:40 - 1:25 NHK総合
北海道スペシャル(北海道スペシャル)
沖縄で戦死した北海道兵の名簿がある。南方の要衝が次々に陥落し寒冷地で訓練を受けてきた部隊が亜熱帯の島に送られることになった。沖縄で対峙することになった米軍はあまりに強大だった。米軍は瞬く間に北部を制圧し24師団に最前線への転戦命令が下った。600人以上の北海道兵が亡くなった。佐藤さんは91歳で亡くなるまで沖縄戦を戦った友人との写真を手元に置き続けた。生きて帰[…続きを読む]

2024年6月22日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
沖縄戦が始まる直前、新聞には「南西諸島」の文字。社説は、敵がい心をあおった。そして今、南西諸島には自衛隊の配備が急速に進む。与那国町長は「全国民がいつでも日本国の平和を脅かす国家に対しては、一戦を交える覚悟が今問われているのではないだろうか」と述べた。与那国島ではおととし、米国との共同訓練に絡む戦闘車が公道を走った。石垣島や宮古島と同じようにミサイル部隊の配[…続きを読む]

2024年6月21日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
1945年5月22日、第32軍は米軍が首里に迫ってきたため多くの住民が避難していた南部への撤退を決めた。逃げた先にいた住民などが戦闘に巻き込まれ、沖縄戦で亡くなった人の半数が犠牲になったと言われている。瀬名波さんは「南部撤退がなければ何万もの住民を犠牲にしないでよかった」などと話した。いわば第32軍司令部壕は沖縄戦の悲劇の始まりの地。多くの住民を戦禍に巻き込[…続きを読む]

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