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「高島平IC」 のテレビ露出情報

昭和100年から紐解く交通問題。昭和30年代に入り自動車の普及とともに交通事故が急増。全国の交通事故死者数は、昭和45年に1万6000人を超え史上最多を記録。現在の約6倍。当時この深刻差を表した言葉が「交通戦争」。令和では考え難い交通問題が起きていた。急速な高度経済成長期を迎え、爆発的に増えたトラックやダンプカーが未整備の国道を猛スピードで走り抜けていく。スピードオーバーに加え、事故の原因となったのが過積載。警察は深夜に抜き打ちで過積載の取締を行うことも。歩行者の交通マナーも問題に。さらに問題になっていたのが、道路に長時間駐車する青空駐車が急増。現在は、車を購入する際に車庫証明が必要だが、昭和37年まではなくても車を購入できた。そのため、この制度が施行されると駐車違反が続出。多くの違反者が交通裁判所へ。昭和の飲酒運転の取り締まりは、昭和45年から飲酒運転が厳罰化。それまで、飲酒運転の罰則基準は呼気などのアルコール濃度や正常な運転ができるかで判断。しかし、昭和45年からアルコール濃度の高低に関わらず飲酒運転は一律禁止。さらに歩道やガードレールなど安全設備や交通ルールに対する教育が普及していった。昭和の交通安全教室といえば、交通安全人形。子どもへの安全教育や法整備などによって、昭和45年を境に交通事故死者数は減少。
昭和50年代半ばのになると交通問題は、若者の危険運転が横行。昭和57年には暴走族の数もピークを迎え、交通事故死者数が再び増加。昭和63年に1万人を超え、第二次交通戦争が勃発。バブル期のこの頃、第二次ベビーブーム世代が運転免許取得年齢になり、さらに若者の事故が急増。国産高級車ブームになり、改造車に乗り回す若者が世間を騒がせた。平成になり車の安全性能が向上すると、平成4年を境に交通事故死者数は減少。今では自動運転の技術が進化。しかし令和の今、日本の交通事情には深刻な問題が。自動車が急速に普及した昭和30年代に免許を取った多くの人は高齢ドライバー世代。相次ぐ高齢ドライバーによる危険運転。さらに、先月首都高速でトラックが乗用車に追突し、2歳の男の子が死亡する事故が発生。トラックを運転していた男には運転中にスマホを操作していた疑いが。ながら運転による死亡重傷事故が過去最多を記録。

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