- 出演者
- 江口ともみ 阿川佐和子 ビートたけし 優木まおみ 本郷和人 藤井サチ 結城東輝
大阪・関西万博のアメリカ館ではロケットの打ち上げ体験や月の石の展示などが行われる。フランス館では世界を代表するファッションブランドの展示が行われる。日本館は世界最大級の火星の医師や、細かく拍動するiPS心臓などが展示されている。1970年大阪万博は77か国が参加し、当時の万博史上最多となる6421万人が並び人間洗濯機「ウルトラソニック・バス」や、ボタン一つで料理を楽しめるフラワーキッチンなどが見られた。さらに質問に答えて除法をコンピューターに読み込ませると性格を診断するものや、自動運転の技術も展示されていた。
- キーワード
- 2025年日本国際博覧会iPS心臓アイルランドパビリオンアポロ8号アメリカパビリオンウルトラソニック・バスクリスチャン・ディオールゴールデンウィークフラワーキッチンフランスパビリオンヨルダンパビリオンルイ・ヴィトン大阪府日本館
1970年の万博では日本電信電話公社によるワイヤレステレホンコーナーもあり、携帯電話の先駆けとして注目された。79年には車のアンテナとバッテリーを動力源にした自動車向けの電話が登場する。85年には外で通話可能なショルダーホンが登場したが、重さ約3kg・通信料1分100円というコストの重さから普及しなかった。NTTによる携帯電話が本格普及したのは1987年のことで「TZ-802型」という名前だった。ここから技術革新競争が激化していく。91年には手のひらサイズの「mova」が生まれ、重さは約230gまでコンパクトとなった。2000年には携帯にカメラが付き、誰もが高性能なカメラを持てるようになる時代の先駆けとなった。しかし、携帯電話を巡っては詐欺行為が横行するとともに、警察署で使われる0110の番号を偽装した詐欺電話もあるなど懸念すべき状況となっている。
今年は昭和100年 特殊詐欺急増&高齢ドライバーによる事故 昭和から紐解く令和の問題 徹底調査SP
阿川さんは昭和について、待ち合わせの場所を設定しても相手が来なければ黒板に来なかったので移動しているなどと記載することがあったと紹介。藤井さんはスマホ1台あればYouTubeから投稿が行えるなど便利な時代となったと振り返った。また、電話よりもLINEのほうがタイムパフォーマンスのほうが良く、仕事以外で電話を受けたくないと話している。結城さんはコロナの間でオンラインコミュニケーションが普及したものの、オフィスで顔を見合って仕事をすることの重要性を感じるようになったと話している。しかし、情報技術の進歩の中でAIは声の生成技術もできるようになり、声も判別されているので詐欺が見分けにくいのが現状となってしまっていると紹介。
昭和100年から紐解く交通問題。昭和30年代に入り自動車の普及とともに交通事故が急増。全国の交通事故死者数は、昭和45年に1万6000人を超え史上最多を記録。現在の約6倍。当時この深刻差を表した言葉が「交通戦争」。令和では考え難い交通問題が起きていた。急速な高度経済成長期を迎え、爆発的に増えたトラックやダンプカーが未整備の国道を猛スピードで走り抜けていく。スピードオーバーに加え、事故の原因となったのが過積載。警察は深夜に抜き打ちで過積載の取締を行うことも。歩行者の交通マナーも問題に。さらに問題になっていたのが、道路に長時間駐車する青空駐車が急増。現在は、車を購入する際に車庫証明が必要だが、昭和37年まではなくても車を購入できた。そのため、この制度が施行されると駐車違反が続出。多くの違反者が交通裁判所へ。昭和の飲酒運転の取り締まりは、昭和45年から飲酒運転が厳罰化。それまで、飲酒運転の罰則基準は呼気などのアルコール濃度や正常な運転ができるかで判断。しかし、昭和45年からアルコール濃度の高低に関わらず飲酒運転は一律禁止。さらに歩道やガードレールなど安全設備や交通ルールに対する教育が普及していった。昭和の交通安全教室といえば、交通安全人形。子どもへの安全教育や法整備などによって、昭和45年を境に交通事故死者数は減少。
昭和50年代半ばのになると交通問題は、若者の危険運転が横行。昭和57年には暴走族の数もピークを迎え、交通事故死者数が再び増加。昭和63年に1万人を超え、第二次交通戦争が勃発。バブル期のこの頃、第二次ベビーブーム世代が運転免許取得年齢になり、さらに若者の事故が急増。国産高級車ブームになり、改造車に乗り回す若者が世間を騒がせた。平成になり車の安全性能が向上すると、平成4年を境に交通事故死者数は減少。今では自動運転の技術が進化。しかし令和の今、日本の交通事情には深刻な問題が。自動車が急速に普及した昭和30年代に免許を取った多くの人は高齢ドライバー世代。相次ぐ高齢ドライバーによる危険運転。さらに、先月首都高速でトラックが乗用車に追突し、2歳の男の子が死亡する事故が発生。トラックを運転していた男には運転中にスマホを操作していた疑いが。ながら運転による死亡重傷事故が過去最多を記録。
昭和30年代の人気観光地は伊東や熱海などの伊豆半島で、中でもハトヤホテルは個性的なCMなどで話題となった。また昭和天皇の五女・島津貴子さんが新婚旅行で訪れた宮崎県も人気観光地の1つだった。
昭和30年代、新婚旅行に行く夫婦を見守る駅のホームでは胴上げや応援団など何でもありだった。昭和39年には日本人の海外渡航が自由化された。自由化当初は費用が高額だったものの、昭和45年からジャンボ機が導入され旅行代金が大幅に値下げされると海外旅行ブームが到来した。ただ日本人海外旅行客のマナーの悪さが問題となった。
バブル期の日本人は海外旅行先でハイブランドを爆買いしていた。ハワイでは日本人が土地や不動産を買い漁ったため、現地では抗議デモが起きるほどだったという。そこから令和へ移ると、日本に外国人観光客が殺到し、オーバーツーリズムなどが問題になっている。一方で海外旅行へ行く日本人はコロナ禍前の6割程度まで減少した。パスポートの保有率も約17%まで下がっている。そして20代の出国者数は減少傾向にあり、若者の海外旅行離れは国の競争力に関わる問題だと警鐘が鳴らされている。
スタジオからは「昭和の時代日本人のマナーが海外で問題になっていたとは知らなかった」、「昔は外国でブランド品を買ったほうが安かったから日本人による爆買いが起こった」、「現代ではネットやAIで実際の現地の様子が細かく分かるようになったので行く必要があまりなくなったこともあるかも」などの話が出た。
たけいさんは「うちに初めて電話を入れた時に家族全員でかかってくるのをまっていたが誰も買ったことを知らなかったのでかかってくるはずがなく、最終的に兄が駅前から家に電話をかけた」など話した。