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「高瀬忠三先生」 のテレビ露出情報

鈴木静扶さんは太平洋戦争末期の1945年、愛知県岡崎市の羽根国民学校に通学。当時体育の授業は敵と戦う技術を磨く訓練だった。地域は度重なる空襲に見舞われ、通っていた学校も焼失。一緒にいた1年生の男の子がアメリカ軍機からの機銃掃射で亡くなった。ANNは取材の過程で鈴木さんが学校焼失後に通った岡崎国民学校の学校日誌を発見。「決戦教育」など訓練の記録が残されていた。全国の学校日誌を研究する学習院大学・斉藤利彦名誉教授は「最後には上陸するアメリカ軍と本土決戦を行い勝つ、だから薙刀だ竹やりだという話になるが児童にそんなことできるか」などと話した。子どもたちを少年兵に志願させていたことなども記されていた。終戦の日、「終戦を告げる玉音放送があった」と追日されたあとがあった。その後は軍事教育に関する記述がなくなり、「自由研究」などの文字もみられるようになる。

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