二本榎出張所は老朽化が進み一時は取り壊しの話もあったが、高輪の街の人々や日本建築学会殻の強い要望を受けて昭和58年に東京消防庁が保存を決定した。二年後に改修工事が行なわれた。ただ建物を残すというだけでなく消防署の実用性はそのままに生きている建築としてそのまま使うと平成22年に東京都選定歴史的建造物に選ばれた。2階には事務室や更衣室があり、壁の天井の境目に注目するとさりげない立体的な装飾が。もう一つ気になる扉には、すべり棒。出場の際に2階から車庫に降りるためにつけられた滑り棒。しかしすべり棒でも階段でもさほど時間の大差はないことと、すべり棒は夜間の場合けが人がでてしまうこともあり使用されていないという。直線と直線が織りなす階段はとても消防署とは思えないほどモダン。丸い形をした三階部分は現在展示室として使用される講堂が。江戸から現代までの歴史がわかる道具の数々を陳列している。美しいのは中心から伸びる8本の梁が放物線を描きながら優しく柱へと繋がり、空間を優しく包む演出。いかにも消防署らしく、外の様子がわかる連続したアーチ窓がある。講堂入り口の上につけられたアール・ヌーヴォー風の照明は当時も珍しいガス灯が使用され予備照明として使用された。そんな美しくも機能的な消防署の一日は現在、29名の署員が勤務している。
朝8時30分には大交替という、前日の職員から当直勤務へ業務の引き続きが行なわれた。次に点検を行い車両や機器材に異常がないか万全の状態に。九時に出場訓練をし、消防官は出場指令をうけてから一分以内に防火衣を着て消防車に乗り込み出場しなければいけない。さらに防火衣などを完璧に装着する訓練があったが渡辺も挑戦した。そして11時30分には昼食へ。出場指令がいつあるかわからないので外食はせず。消防署について、所長の柳さんはこの榎出張所について古風な庁舎はここしかないのではと答えた。この地に消防署がおかれたのは明治41年7月。当時は消防本署二本榎派出所と呼ばれ、木造二階建ての家屋に四本柱の火の見櫓がついた江戸以来の伝統的な形だった。昭和8年には関東大震災後の復興事業の一環として耐震性、耐火性の高い鉄筋コンクリート造りに建て替えられて今の形に。この時高輪消防署の本署としてスタートした。建物のディティール一つひとつに新しい消防署をつくるという息吹と情熱が満ち溢れている。13時には救助訓練がスタート。消防官の業務は苛烈を極め、時間との戦いでもあり、だかたこそなのか建物はほっこりと優しく、美的センスにあふれている。設計者は越智操。
朝8時30分には大交替という、前日の職員から当直勤務へ業務の引き続きが行なわれた。次に点検を行い車両や機器材に異常がないか万全の状態に。九時に出場訓練をし、消防官は出場指令をうけてから一分以内に防火衣を着て消防車に乗り込み出場しなければいけない。さらに防火衣などを完璧に装着する訓練があったが渡辺も挑戦した。そして11時30分には昼食へ。出場指令がいつあるかわからないので外食はせず。消防署について、所長の柳さんはこの榎出張所について古風な庁舎はここしかないのではと答えた。この地に消防署がおかれたのは明治41年7月。当時は消防本署二本榎派出所と呼ばれ、木造二階建ての家屋に四本柱の火の見櫓がついた江戸以来の伝統的な形だった。昭和8年には関東大震災後の復興事業の一環として耐震性、耐火性の高い鉄筋コンクリート造りに建て替えられて今の形に。この時高輪消防署の本署としてスタートした。建物のディティール一つひとつに新しい消防署をつくるという息吹と情熱が満ち溢れている。13時には救助訓練がスタート。消防官の業務は苛烈を極め、時間との戦いでもあり、だかたこそなのか建物はほっこりと優しく、美的センスにあふれている。設計者は越智操。
住所: 東京都港区高輪2-6-17
URL: http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-takanawa/
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