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「鹿屋高等女学校」 のテレビ露出情報

高山高等女学校を卒業した原田さんは「学生中はずっと戦争だった。日本は勝つもんだと思い込んでいた」などと述べた。11年前、3人の戦争体験者に対する聞き取り調査の映像記録を紹介。終戦当時、17歳の高等女学生たちが学徒通信隊を担っていた。鹿屋航空基地史料館・久保田さんは「100名の女の子たちがレベルの高い試験を合格して戸籍まで調べられた。命がけで協力をしてくれた女の子たち」と話した。鹿屋近辺の4つの高等女学校から25人ずつ選抜された。海軍が用意した宿舎で集団生活をしていた。彼女たちが勤務した場所がまだ残されていた。学徒通信隊だった岩重さんは現在97歳。10年前、特攻隊の慰霊祭で遺族に通信隊のことを話していた。隊員ごとに任務が異なることが分かった。当時、日米共に無線通信はモールス信号が主流だった。通信隊の田中さんの任務はモールス信号に関わる任務だったと考えられる。情報の内容を把握していた可能性がある。飛び立った特攻隊員の最後の声を無線で聞くことになる。
当時の地下壕電信室がそのまま残されている串良基地跡地下壕第一電信室を紹介。特攻隊との最後の無線を受信していたという。元鹿屋市平和学習ガイド・小手川さんは「ツーという音が消えた時が敵の戦艦にぶつかったか、敵の砲弾でやられて亡くなったか。とにかく最後のツーなんです」、鹿屋高女学徒通信隊・田中さんは「涙ながらに見たり聞いたりしていた」などとコメントした。鹿屋に集まった特攻部隊は最新兵器「人間爆弾・桜花」を装備していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月9日放送 14:30 - 16:00 フジテレビ
もしも君が僕の最期の声を聞いてくれたらもしも君が僕の最期の声を聞いてくれたら〜新証言 女学生極秘部隊と特攻隊の恋〜
鹿児島県鹿屋は古くから飛行場があり太平洋戦争末期、3つの海軍航空基地が整備され沖縄への攻撃を指示する第五航空艦隊司令部が置かれた。特別攻撃作戦とは搭乗員が爆弾を搭載した軍用機や小型艇で敵艦に必死の体当たりをする太平洋戦争末期に行われた作戦で海軍では「神風特攻隊」と呼ばれ10代、20代の青年が亡くなった。連絡手段はモールス信号。特攻の操縦員は特別なモールス信号[…続きを読む]

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