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「黒柳徹子」 のテレビ露出情報

有働由美子が黒柳徹子の対談。2人の周りはバーチャルスタジオとなっていて、「徹子の部屋の外に出たらこんな庭があるのでは…」をコンセプトに作成されている。まずは黒柳徹子の人生を振り返った。1953年に日本で初めてテレビ放送が開始されたときに、テレビ女優第1号としてデビューした。高度経済成長期には活動の場を広げ、最近はYouTubeチャンネルも始めた。YouTubeチャンネルでは焼肉や寿司などを食べる動画もアップしているが、これに関して黒柳徹子は自身の胃の消化は普通の人の4倍速いなどとと話した。食べ物の少ない戦時中に幼少期を過ごしたことが関係しているかもしれないという。
番組側が作成した「黒柳徹子の“幸せグラフ”」が紹介された。黒柳徹子のキャリアの中での幸福度を、年ごとに-10~10に数値化し、グラフにしたもの。ほとんどが最大の10となっている。これについて黒柳徹子は、あまり思い煩わないので、グラフの通りだいたい幸せだなどと話した。しかし、どん底の時期もあった。1953年にNHK放送劇団に入った直後がそれで、自分の口調がNHKの方針と合わず、先輩に「明日から日本語を直してこい」などと言われることもあったという。「個性が邪魔」と言われたこともあり、困惑する日々を送った。どん底のさなか、ラジオドラマのオーディションで、飯沢匡という劇作家との出会いがあった。飯沢匡は黒柳徹子の個性に肯定的だった。初めて自分の個性を必要としてくれる人に出会えた。個性を取り戻した黒柳徹子はラジオドラマ「やん坊にん坊とん坊」の主役に抜擢された。これを機にスターへの階段を上り始めた。1961年にNHKを退局し、その後始まった番組は子どもたちの間で大人気になった。人気絶頂の1971年、演劇を学ぶため単身、ニューヨークへ留学した。その翌年、テレビ朝日から番組オファーが来た。「ニュースショーの司会をやってほしい」というものだったが、白いブラウスに紺のタイトスカートを履いて男性の話に頷くなど、みんなと同じ感じになることを嫌って断った。私は私なりのやり方でやりたい黒柳徹子は、1976年に「徹子の部屋」をスタートさせた。第1回目のゲストは森繁久彌だった。初回放送からゲストが歌唱するコーナーがあった。「徹子の部屋」は同一司会者によるトーク番組の最多放送のギネス世界記録を保持している。
有働由美子は「徹子の部屋」を見るときに、黒柳徹子の手元のメモが気になっていることを本人に伝えた。今回、そのメモを見せてもらえることになった。レディー・ガガ、マツコ・デラックス、ミハイル・ゴルバチョフがゲストで来た回のメモが用意された。「徹子の部屋」に台本はなく、打ち合わせだけしている。メモには黒柳徹子が打ち合わせの中から引き出したものをメモしている。話しながら書いているので、綺麗な書体ではない。こうした準備が大事だと考えている。相手と向き合う前に相手を知り尽くすことこそが、黒柳徹子流のインタビューの極意。話題はミハイル・ゴルバチョフ出演回に移った。黒柳徹子はゴルバチョフに会いたかった。ロシアを変えた人物であり、男性としてもタイプだった。覚えている詩はあるかと聞くと、ゴルバチョフは朗々と詩を詠んだ。黒柳徹子は詞章をすぐ言える文化がなんとも羨ましく思った。
有働由美子は「徹子の部屋」で見られる黒柳徹子の鋭い質問について聞くため、まずはそのシーンを集めたVTRを観てもらった。原田龍二の出演回は、「マイカー不倫で世間を騒がせた俳優の原田龍二さん」と紹介し、不倫の話を避けることなく話した。「火花」がヒットした後の又吉直樹の出演回は、「印税はどうしました?」と質問した。スケートの高橋大輔の出演回は、「お尻の筋肉がすごくいいって本当?」と質問し、お尻の筋肉を触らせてもらった。「五体不満足」の乙武洋匡の出演回は、電動車いすについて詳しく聞き、結果的に2人乗りもさせてもらった。有働由美子が不倫などの話をさらっと切り出せるのはどうしてかと聞くと、黒柳徹子は「あの方が不倫をなさってそのためにお休みになって、それでやっと出ていらしたんだとしたら、なぜ不倫がおこったのかということは伺っておいた方がいいと私は思うんです。伺えない方は出ていらっしゃらないと思うんです」などと答えた。また、黒柳徹子はたくさんの視聴者がいるということは収録中は特に意識しない、「徹子の部屋」は編集をしていないことを出演者は知っているので本当のことを話してくれるんだと思う、などと話した。隔離政策が廃止された直後に元ハンセン病患者をゲストに招き、自ら患者の手に触れるなどし、ハンセン病について正しい情報を発信したこともあった。黒柳徹子はテレビを通して「真実を伝える」ことに使命感を持っている。差別などの被害者が、少しでもテレビによって気が楽になればと考えている。テレビを観ない人が増えているというが、黒柳徹子はテレビは無くならないと思って信じている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月26日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
みんなのベスト紅白放送100年企画 みんなのベスト紅白 キックオフスペシャル!
1925年3月1日、日本初のラジオ試験放送が行われた。放送開始当初のラジオ受信契約数は3500だったが、その年の10月には10万を突破。様々な番組を通じて暮らしの中にラジオが浸透。1951年1月3日、「第1回NHK紅白歌合戦」が始めてラジオで放送された。当時のNHKディレクター・近藤積の発案で終戦直後に放送された新しい音楽番組「紅白音楽試合」をもとに企画され[…続きを読む]

2024年11月25日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!東大生・京大生が選ぶ!この秋行きたい!全国の博物館 美術館ベスト10
インタビュー問題「5位の博物館 誰の博物館?」と出題。正解は「渋沢栄一」。北区にある「渋沢史料館」は飛鳥山にあった渋沢栄一の自宅跡に開館された。おすすめポイントは年齢ごとに業績が展示しているなど紹介。
アルバム問題「渋沢栄一にまつわるこの名所はどこ?」と出題。正解は「井の頭公園(東京都)」。
モザイク動画「渋沢栄一が愛したこれは何?」と出題。正解は「獅子[…続きを読む]

2024年11月25日放送 8:00 - 9:55 TBS
ラヴィット!(ラヴィット!)
田辺智加がありがとうを伝えたいのは「島田秀平」。芸人になったきっかけでもあるという。芸人になる前の20代の頃、浅草にある今戸神社に行った時にロケ中の島田秀平に会い、一般人の手相を見るというロケで見てもらったところ、「人気者になれる」と言われたという。それがきっかけで芸人になろうと思ったという。いつか会えるだろうと思っていたが、芸歴12年目でまだ、1度も会えて[…続きを読む]

2024年11月24日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団第27回 おもちゃ鑑定大会
大本京さんの父・大本恭敬さんは西城秀樹さんをはじめ、日本の歌謡史を彩った数々の歌手を指導したヴォイストレーナーの第一人者。当初はレッスンを自宅で行っていたため、ファンが自宅の周りに1000人くらい集まったという。実は西村知美も教え子の一人。レッスンはアメと鞭だったという。お宝はクラッシックカーのミニカー194台。世界各国のメーカーのものが揃っている。約40年[…続きを読む]

2024年11月24日放送 11:00 - 11:25 NHK総合
どーも、NHK特集
第9回NHK紅白歌合戦の音声が流れる。黒柳徹子さんは25歳で紅白司会をつとめた。

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