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「黒田しょう之助」 のテレビ露出情報

東京の空の玄関口「羽田空港」。国際ターミナルに併設された商業施設「羽田エアポートガーデン」に、コクヨが2年前にオープンさせた話題の直営店「KOKUYO DOORS」がある。店内にはコクヨの定番文具以外にも土産物にぴったりの詰め合わせや和テイストの限定品などもある。さらに店内では外国人客にもわかりやすいように文具の使い方を動画で説明するなどしている。そんなコクヨでまず思い浮かべるのがキャンパスノート。コクヨは他にお定番商品をつくる文具メーカーというイメージだったが、底に吸盤がついていてテープが楽に取れる「グルー テープカッター」2255円や角がいっぱいの消しゴム「カドケシ」220円など、アイデア文具を次々売り出している。さらに、東京ビッグサイトで開かれたアジア最大級のオフィス家具の見本市「東京オルガテック2025」にも展示コーナーがありオフィス家具も手掛けている。展示されたのは「イングクラウド」28万3800円のみだがコクヨの特許技術が詰まった自信作で、座面が前後左右360度どの方向にも動き、ゆったり作業できるものとなっている。コクヨ全体の売上の半分近くを稼ぎ出しているのがオフィス家具事業。取材の日にコクヨ品川オフィスで行われていたのは文具部門のワークショップで、周囲から「英邦さん」と呼ばれていたのがコクヨ社長・黒田英邦(49)。黒田社長は文具部門の本部長も兼任する現役のプレイングマネージャーで社員と同じ目線で意見がかわされている。コクヨは1905年創業、以降120年もの間黒田家が経営を担ってきた日本を代表するファミリー企業。黒田家の5代目社長・英邦社長のプレイングマネージャーの勇断に迫る。
創業100年を超える老舗企業は国内に4万社以上あるがうち8割近くが親族に事業を引き継がせる同族承継であることがわかっている。ファミリー企業は意思決定が迅速で後継者を育てやすいというメリットがあると言われているが創業家の御曹司としてコクヨに入社した英邦さんはどんな岐路に直面しどんな勇断をくだしたのか?コクヨの初代社長は富山県出身の黒田善太郎で大阪で紙製品のお店を開いた。そんなコクヨを大企業に育てたのが黒田善太郎の息子で2代目社長の黒田しょう之助。しょう之助は、1960年にスチール製のファイリングキャビネットを発売するなど紙製品だけでなくオフィス家具に本格参入するなど迅速な意思決定で事業を拡大。文具の分野でも1975年にキャンパスノートを発売。これもしょう之助が牽引したものでそれまで糸とじだったノートを糸をつかわずノリでとめる無線とじという技術を開発した。さらにしょう之助は工場の機械化にも着手するなど迅速な意思決定で急成長させた。コクヨのカリスマ的経営者・しょう之助をよく知るのが息子で4代目社長(現・会長)の黒田章裕で、しょう之助は怖い人だったという。英邦は1976年兵庫県尼崎市生まれで経営者の子どもが多いことで知られる甲南幼稚園から甲南大学までエスカレーター式で進学。幼少期から帝王学を受け付けられたのかと思いきや、コクヨについて文房具以外は知らず、教えてもらえなかったという。将来コクヨを継ぐことを特に意識することなく大学卒業後に2年間アメリカに留学。そんなときネットの掲示板にコクヨの社員が不満をかきこみ大炎上した事実を知り、初めて家業に入ることを意識し始めた。英邦は周囲に相談すると、大半が新卒でコクヨに入ることに反対し別の会社に一度入ってはどうか?という声が多かった。ここで英邦は大きな岐路に直面。コクヨへ入社するのか別の会社で修業をつむのか。御曹司・英邦に決断は?

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月15日放送 16:00 - 17:15 テレビ東京
プレイングマネジャーの勇断〜トップへの岐路〜創業家SP
コクヨの創業家出身、5代目社長の黒田英邦。留学後コクヨに入社するか、別の会社で修業を積むかの岐路に立たされる。悩んだ末、コクヨへ入社することを決めた英邦だが入社するには当時会長を務めていた祖父・しょう之助に許しを請わなければならなかった。英邦が「入社したい」と伝えるとしょう之助は「黒田家の人間は人の3倍働きなさい」と言ったという。人の3倍働かなければ周りから[…続きを読む]

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