昭和32年4月、長い冬が終わり越冬隊は山を降りた。変わって中村が1000人の男たちを率いて黒部に乗り込んだ。そのころ、岩井たちは大型ドリルなどの建設機械を運び始めた。4月18日、工事現場を雪崩が襲い5人が飲み込まれ1人が亡くなった。2週間後、大町トンネルで大出水が起きた。工事は5ヶ月間、一歩も進まなかった。あらかたの重機は運び込まれたが巨大な削岩機だけはトンネルでしか運べなかった。その時、部下・沼田充弘が大量の火薬を使う大発破を提案。中村は入社7年目に発破の事故で同僚25人を失う体験をしていた。しかし他に方法はなかったという。昭和32年2月、大町トンネルが開通。最初に運ばれたのは80トンの火薬だった。昭和33年6月20日、大発破を決行。無事成功し、工期の遅れを取り戻した。昭和38年6月、黒四ダムが完成した。
住所: 富山県中新川郡立山町芦峅寺1
URL: http://www.kurobe-dam.com/
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