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「8月9日の御前会議」 のテレビ露出情報

戦後80年を迎える中、戦時中軍部が徹底抗戦を主張するのを抑えて終戦に導いた鈴木貫太郎について伝える。鈴木が晩年を過ごした野田市には鈴木貫太郎記念館があり、市の施設として日記などを展示しているものの台風で被災する中収蔵品の保管が難しいとして休館が続いている。鈴木が総理大臣となったのは1945年4月のことで、水面下で和平工作を進める中ポツダム宣言が出されると受諾に向けて検討を進めるとともに、軍部との意見が対立する中昭和天皇の出席する御前会議で聖断をあおぎ8月15日の終戦に導いた。在任期間は133日だったが大きな役割を努めた。終戦の3年後に亡くなったものの戦争が長引いたことを悔やみ続けたという。鈴木が大切にしたのは「正直に腹を立てずにたゆまずはげめ」というものだという。記念館の再開は見通せておらず、野田市は2030年の再開に向けて施設を建て替える構想を出しているものの、建設費の高騰から先行きも不透明となっている。その一方で鈴木が幼少期を過ごした前橋市では展示会が行われ、解説や講演会も行った。記念館の建て替えに向けた募金も行っていて、担当の笹川知樹さんはこれまで受け継いできた貴重な資料をこれから先の50年 100年と長い期間受け継いでいくため、しっかり伝えられるような良い施設をつくっていきたいと話している。現在野田市ではふるさと納税や市役所の募金箱を活用した寄付を募っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月14日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
千葉県野田市にある鈴木貫太郎記念館は、鈴木ゆかりの品々や日記などを所蔵している施設だが、6年前から休館が続いている。きっかけは台風による大規模な雨漏りだった。築60年の建物では収蔵品の保管が難しくなり、所蔵資料は別の鈴木貫太郎記念館の収蔵室に移動した。鈴木貫太郎は1945年4月に総理大臣に就任。軍部が徹底抗戦を訴える中、海軍出身でありながら水面下で和平工作を[…続きを読む]

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