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「B29」 のテレビ露出情報

今年は太平洋戦争の終結から80年となる。戦争を体験した人が減る中、10万人が犠牲となった東京大空襲を後世に伝えるため焼け跡の保存作業が始まった。東京・墨田区にある賛育会病院の旧本館の紹介。1945年3月10日の未明、米軍のB29が落とした無数の焼い弾が賛育会病院のある下町一帯を焼け野原に変えた。この日の東京大空襲で焼失した建物はおよそ27万軒。およそ10万人が命を落とした。賛育会病院も火の海に包まれたが、コンクリートでできた建物は奇跡的に焼け残り、医師や患者らの犠牲もなかった。終戦の翌年、診療を再開したが、屋上にあった小さな部屋だけはほぼ手付かずのまま、悲惨な戦争の記憶を80年もの間静かにとどめていた。しかし、建物の老朽化が進み、去年旧本館を解体することに。工事に先立ち専門家が調査したところ、この部屋が貴重な歴史的遺構であることがわかった。部屋のすすけた木片や壁の一部が切り出され、別の施設で保存展示されることになった。戦争体験者の声を直接聞く機会は少なくなっている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月10日放送 4:30 - 5:50 日本テレビ
Oha!4 NEWS LIVE(NNN 戦後80年プロジェクト「いまを、戦前にさせない」)
東京・足立区の舎人駅から10分ほど歩いた住宅街と畑がある一角に巨大なタイヤが埋まっている。米国のタイヤメーカー「GOOD YEAR」の文字が。米国軍の爆撃機B−29のタイヤ。B−29は日本各地を空襲した爆撃機。1945年3月10日未明の東京大空襲では300機以上のB−29が空爆し死者10万人、被害者100万人以上に及んだ。プロペラの直径は約4m。その一部が足[…続きを読む]

2025年1月7日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.NNN戦後80年プロジェクト「いまを、戦前にさせない」
NNN戦後80年プロジェクト「いまを、戦前にさせない」。今回は、広島のお好み焼きに欠かせないオタフクソースを作った一家の物語。創業一家に生まれ育った佐々木尉文さんは今、最高顧問となり社長である息子を支えている。初めはしょうゆの卸売りと酒の小売りを営んでいたが、大正から昭和になると戦時色が強まる軍都広島では日持ちする商品が好まれるようになったという。尉文さんは[…続きを読む]

2024年12月28日放送 2:35 - 3:20 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1941年12月8日の真珠湾攻撃によって幕を開けた太平洋戦争。若いアメリカ人たちは「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に軍に殺到したが、彼らの中で日本人について理解していた者はごく僅かで、日本語を理解できる者は50人程度しかいないとされていた。アメリカ政府は日本語を理解できる諜報機関を設立するため、全米から優秀な若者を招集する。その内には日本語を理解できる[…続きを読む]

2024年12月4日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
長崎県大村市で80年前の空襲で亡くなった人たちを追悼する式典が開かれた。南島原市に住む長門昭子は1944年9月、15歳だった時に学徒動員として航空廠に動員された。動員されてから約2か月後、航空廠の上空に米国軍のB29が飛来した。空襲警報が出てまもなく爆撃が始まったという。度重なる空襲で焼く300人が犠牲になり、長門と同じ故郷から来ていた学徒動員もなくなった。[…続きを読む]

2024年11月18日放送 1:28 - 2:28 TBS
ドキュメンタリー「解放区」巣鴨日記 ~あるBC級戦犯の生涯~
冬至堅太郎は32歳からの10年間をスガモプリズンで過ごした。冬至は戦犯として囚われ、その日々を日記に記していた。冬至堅太郎を父に持つ冬至克也は、父・堅太郎はどの様な気持ちで過ごしていたのか、そして真実を記しておきたいと日記を残したのだなどと告げた。大正時代に創業した文具店「冬至商店」の一人っ子として誕生した堅太郎は東京商科大学(現 一橋大学)に進学し、剣道部[…続きを読む]

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