TVでた蔵トップ>> キーワード

「CATCH A WAVE」 のテレビ露出情報

Hi-STANDARDは1999年に3人の共同出資でPIZZA OF DEATH RECORDSを設立した。2019年8月25日オンエアで矢沢永吉はこのことについて言及しており、当時インディーズはみんな自分で立ち上げてはいたがHi-STANDARDがその先駆者だったなどと話している。横山らはPIZZA OF DEATH RECORDS設立当時はメンバーと業界未経験の1人と他2名で運営し、一軒家を借りて事務所とし、恒岡が自作したデスクは今でも使用しているなどと明かした。横山はPIZZA OF DEATH RECORDSの経理を担当し、今でも社長を務めており、だからこそ自分たちの精神性でレーベル運営ができており、恒岡の意見は重要で、恒岡が納得した時に丁度いい場所にいることが多かったなどと告げた。綾小路は自分たちがデビュー前にライブにも客がいるかいないかぐらいの頃にPIZZA OF DEATH RECORDSのスタッフが来てくれて遊びに来なよと誘ってくれ、何度も遊びに行っており、自分たちと少ししか年が変わらない先輩たちが自分たちでライブのブッキングする姿などを見て自分たちが目指すのはこれだと憧れたなどと話した。Hi-STANDARDの特徴は全英語詞であることであり、難波らは当時英語も喋れないのに英語歌詞にしていて、英語話せなくても海外でこれだけやれると示したく、発音が拙くてもむき出しの気持ちを込めて歌うことでできるのだと示し、伝えたいキーワードだけでも聴こえる世界に行きたかったため全英語歌詞をやめることはなかったなどと打ち明けた。鹿野は当時の洋楽ロックと日本のロックには5年くらいの時差があり、渋谷系が出てくるとバイヤーがUKバンドのレコードを毎週新しいものを買い入れ、それを聴いて育ったキッズたちがデビューしてを繰り返すことで時差は1年ほどに縮まっていたところに、Hi-STANDARDは直接アメリカに行ってアメリカの血肉となって逆輸入的に日本で人気が爆発したなどと解説した。
横山らは当時海外のバンドも音楽のバックグラウンドが似ており、ポップスに衝撃を受け、そこからハードな音楽が好きになり、楽器を覚え、パンクのアティチュードに出会い、自分たちの音楽ではポップスやハード音楽をパンクのアティチュードで包むようにしていて、皆一緒だということが必然性に感じていたなどと語った。Hi-STANDARDが参加したVans Warped Tour 1998ではNOFXに誘われたことがきっかけで出演し、移動はレンタカーであったが一緒にステージも移動していてその景色は凄かったなどと伝えた。90年代のパンクシーンでは革ジャンが主流であったがHi-STANDARDはTシャツにハーフパンツでステージに上っていた。横山らは当時パンクロックするうえで革ジャンを着用しなくてはいけないという先入観はあったが不思議としなくていいと思っていて、アメリカシーンでは皆Tシャツにハーフパンツ姿が多かったなどと伝えた。Hi-STANDARDはスケボー誌やファッション誌にも登場してストリートカルチャーを巻き込んでいた。横山らは当時有名なスノーボーダーやスケーターが滑る映像にメロディックパンクやハードコアなどの音楽がBGMに使用されて人気を集め、自分たちの楽曲も知らないうちに勝手に使用されているのを発見し、嬉しくて買っていたなどと明かした。鹿野らは当時あらゆる意味でストリートカルチャーがキーとなり音楽なら原宿、ファッションなら裏原となりそれらがシンクロしていき、Hi-STANDARDとつるんでいたBACK DROP BOMBのボーカルの白川貴善がスタートしたブランド「EMPIRE」などが出てきてファッションシーンも進化していたなどと解説した。
Hi-STANDARDは当時地上波のテレビ番組には出演しなかった。横山らは結果としてものすごく大きいカルチャーを作ったが今までにないものの輪の中にいる自負はあり、上澄みだけすくって使用されるのが嫌であったなどと明かした。1997年に伝説のフェスとなったAIR JAM’97が開催した。

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.