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「NHK名古屋」 のテレビ露出情報

関東大震災は日本の災害報道の出発点になっている。そこで記録映画「関東大地震大火実況」から当時の関東大地震の被害の様子が伝えられた。この記録映画が公開されたのは発生から40日後で、当時の災害報道に即効性はなかったという。色々な場所で火災が起きていたが、それを誰も把握することができず、情報の空白が多くの命を奪ったという。その教訓から2年後にラジオ放送がスタートし、室戸台風についてラジオは暴風警報を繰り返し伝えていたが、耳を傾ける人は少なく、多くの被害が出たという。
どれだけ警告しても伝わらなければ意味はないということで、防災意識を高めるニュース映画を作ったという。しかし太平洋戦争が勃発すると報道管制が敷かれて気象情報は軍事機密になり、天気予報は新聞やラジオから消えた。そのため周防灘台風では何の情報も得られず、備えが間に合わず1000人近くが亡くなった。さらに昭和東南海地震でも多くの人が亡くなったという。戦後、天気予報は再開されたが、枕崎台風では戦後で各防災期間の活動が復活してないことから多くの被害が出たという。1959年に気象庁から生中継で台風情報が伝えられた。
伊勢湾台風の情報は半ドンだった役所で止まり、住民たちに届かない地域もあったという。名古屋市では高潮によって木材が住宅地に流れ込み多くの命を奪った。ラジオやテレビの情報が届かずに夜を迎えた地域も多く、それが被害拡大に追い打ちをかけ、被害は5000人になったという。このことから島川甲子三は気象情報を直接住民に伝える道を選び、日本の気象キャスターの先駆けになったという。国の防災対策も強化され、富士山レーダーが1964年に設置された。
1977年に放送された「岸辺のアルバム」は3年前に起きた実際の災害をモチーフにしている。1974年の多摩川は台風の影響で増水していた。そしてテレビの災害報道は現場からの生中継が主流になっていった。1995年には阪神・淡路大震災が起きた。この災害で問われたのは被害者への過度な取材と悲劇を強調する報道姿勢だった。
2011年の東日本大震災は命を救う報道へ舵を切る転換点になった。福島第一原発の爆発については、当時は東京電力も把握してないことから、アナウンサーが映像だけを頼りに非常事態を伝えたという。当時は何が起こっているのか把握できてなかったので「すぐに避難して下さい」と言えなかったという。
2024年の元日には能登半島地震が起きた。災害報道は命を守る行動を強く呼びかけるものに変化していた。また近年は視聴者から映像を募集して災害を報じるケースも増えている。島川甲子三は「気象情報に頼りすぎるのではなく、1人1人が五感を働かせて危険を察知できるようにしておくことが大切だ」と語っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年6月24日放送 15:10 - 15:56 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(気象情報)
名古屋中区から中継。久屋大通庭園フラリエに来ている。手元の気温計は28.5℃を示している。久屋大通庭園フラリエではマルシェが開催されるとのこと。

2026年6月13日放送 16:30 - 17:59 NHK総合
第110回日本陸上選手権第110回日本陸上選手権 第2日(中継1)
NHK名古屋放送局のパブリックビューイングを紹介した。

2026年5月14日放送 20:42 - 20:45 NHK総合
#NHK(#NHK)
名古屋局と金沢局が制作した「能登半島地震2年 被災地からの声」。番組では立ち上がろうとする住民たちの小さな復興の現場を訪ねた。柴田寿美香さんは地震で家が全壊したが、避難所の炊き出しに取り組んだ。地域のつながりを守るためにマルシェをオープン。一方、復興のめどが立たないという被災地からの声も伝えた。地震に加え、豪雨の被害も受け、今も断水が続いている。去年2月、市[…続きを読む]

2026年4月13日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース長崎局 昼のニュース
今月からニューヨークの国連本部で開かれるNPT(核拡散防止条約)の再検討会議にあわせて、原水爆禁止日本国民会議は今月25日から来月2日の日程で代表団を派遣する予定で、長崎から参加する被爆者など3人がきのう長崎市で記者会見した。長崎県平和運動センター・被爆者連絡協議会・川副忠子議長は「核がこれ以上広がっていかないように発言していきたい」、高校生平和大使・才津結[…続きを読む]

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