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「THA BLUE HERB」 のテレビ露出情報

THA BLUE HERBのラッパーのILL-BOSSTINがtha BOSS名義で約8年ぶりのソロアルバムのIN THE NAME OF HIPHOPを発売した。25年のキャリアでずっと札幌で作詞し、札幌から日本全国に飛び回り音楽で得た評価で暮らしている。自分たちの地元から音楽を発信することは今では当たり前のように思えるが、簡単にできなかった時代があったという。tha BOSSのヒップホップ人生はまさにその歴史との戦いで、その戦いを始めた理由、その時代から今に至るまでの活動で見えてくる何かを探る旅が始まる。ラッパーになる前にすすきので水商売の仕事をしながら友人たちとダンスグループを組んで活動していたという。その活動は夜遊びの延長でナンパばかりしていたという。tha BOSSはメンバーのO.N.O
と出会ったのは人づてにヒップホップが好きだという情報を得て、彼の働いている店にいき、自分の思いを伝え、テープを作った所でグループの礎ができたという。O.N.Oは店にBOSSの同じダンスメンバーがいたという。また当時出入りしていたクラブについてBOSSはB.I.G. JOEのラップに衝撃を受け、自分もやってみたいと思ったという。
BOSSはその後リリックを本格的に書き始め、単身でニューヨークにわたり見聞を広げてラッパーとして磨きをかけた。一方で音楽制作のために機材を購入したO.N.O。そのトラックを中心に関係者の力をかりてアルバムを制作した。O.N.Oは当時作成したカセットを店に送り付けたこともあったが雑誌などに送っている時にツテができたという。Mummy-Dはラジオでこの曲を紹介したが世界観があると感じたという。BOSSは当時尖っていたために曲が採用された時には素直には喜ばなかったが内心はとても嬉しかったという。しかしそれを表に出すと自分が熟成してきた強さが崩れるような気がしたと語る。ラジオで音源が流れるも、札幌にいるBOSSたちの生活は変わることはなかった。その一方で東京を中心とした日本語ラップシーンはさんピンCAMPで一気に盛り上がりを見せていた。クオリティに関しては申し分ないものの、シーンから無視し続けられる現状に焦燥感と怒りに満ちていたBOSSはその怒りをリリックに叩きつけ、借金してレコードを自主制作して販売する。BOSSは北海道に居続けることと東京のレコード会社に拾ってもらうことでそれが両立できるかどうかと感じ、東京のラッパーが東京の人らと契約し、地方住みの自分たちはどうすればいいのかとあえいでいたという。追い詰められた先に、自分らでやることにたどり着いたという。
崖っぷちに立たされたTHA BLUE HERB。その本気度が刷り込まれた楽曲たちがすでに世界的に活躍していたDJの耳に伝わった。1999年にメディアの力を借りることなく楽曲のクオリティだけで耳の肥えたDJたちを唸らせていく。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月4日放送 2:30 - 3:00 テレビ東京
流派-R since2001HIPHOPミーツallグッド何か
Rude-αとサイプレス上野が対談。2人は「日本語RAPで好きなリリック」「感銘を受けた邦楽の歌詞」「高校時代 夢中になった日本語RAP」などのテーマでトークした。

2023年10月26日放送 2:55 - 3:55 フジテレビ
IN THE NAME OF HIPHOPINTHE NAME OF HIPHOP
THA BLUE HERBのラッパーのILL-BOSSTINがtha BOSS名義で約8年ぶりのソロアルバムのIN THE NAME OF HIPHOPを発売した。25年のキャリアでずっと札幌で作詞し、札幌から日本全国に飛び回り音楽で得た評価で暮らしている。自分たちの地元から音楽を発信することは今では当たり前のように思えるが、簡単にできなかった時代があったと[…続きを読む]

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