「四天王」誕生の裏側/「四天王」ライバル関係/60年前のデビュー秘話/歌の基本は「ものまね」/美空ひばりさん本人も認めた「ものまね」

2025年3月6日放送 3:18 - 3:31 フジテレビ
昭和歌謡パレード 昭和歌謡パレード

三田は御三家と言われる橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の中に入り四天王と呼ばれた。その頃御三家についてはライバル意識をしていたが、しかしその裏話では、御三家がそれぞれ別々のレコード会社だったが、三田は橋幸夫と同じ会社だったのでそこは調整されていたという。実際は皆同期だったと答えた。また四天王の関係については御三家は挨拶したっきり口を聞けない状態にあり、周囲がライバルにさせようと、ガードされていたという。また歌番組でも4人が揃ったのは二回しかないという。また、三田は歌手希望ではなく兄に勝手に応募されたことがきっかけだという。しかし舟木一夫の後を追うものとしてヒット曲になる「美しい十代」という曲はすでにあったが、その歌い手を決めかねていたという。そこにちょうど自分が応募したことで、レコード会社が求めていた人材だと急に歌手デビューが決まったと答えた。
角川は子供時代から歌手のモノマネをしていたと答え、そのコツを紹介した。竹島や青山は先輩からよく先輩をモノマネをして練習しろと言われていたと答えたが、角川が美空ひばりのモノマネを披露した。


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