新美の巨人たち 新美の巨人たち
明治19年に、旧東京大学初代総理の加藤弘之を囲む謝恩会をきっかけに学士会が設立された。発足時の会員数は帝国大学の卒業生や教員ら243名。国家のエリートである学士達の親睦と交流は万代軒という西洋料理店の一室からひっそりと始まった。やがて会員も増えて自分たちのホームを作ろうと資金を集めた。いよいよ工事開始という大正12年に関東大震災が発生。それでも学士達が焦土となった土地に新館建設を決意。建築推進の中心となったのは当時耐震構造学の権威だった佐野利器。建築費用は106万円で現在の価値にして12億円が会員からの寄付で賄われた。設計はコンペによって選出され、27案の中で一等当選したのは高橋禎太郎。高橋は東京帝国大学の建築学科を首席で卒業した主催で佐野の門下生だった。しかし佐野からプランが拙いとやり直すことになってしまい大幅な設計の変更を迫られた。当初高橋のコンペ案には建物の角に階段が配置されていた。元々あった階段の位置を中央部に変更したことで各部屋にアクセスしやすい導線が生まれ建物としての機能を格段に高めた。学士会館の工事が始まったのは大正15年。関東大震災の教訓をいかし構造は当時極めて珍しかった鉄骨鉄筋コンクリート造。そして昭和3年にはエリートたちの念願の社交場はついに誕生した。