サタデーステーション 阪神・淡路大震災から30年 医療の教訓
非情にも見える心肺蘇生中止の指示は、当時の外科部長・松田昌三医師の苦渋の選択だった。水谷和郎医師は、こういう時はこういう判断、やめなさいって言っていいんやというのはある意味本当に衝撃でしたし、でもそれをしていったから救急外来が回っていったのは確かだと話した。映像にはトリアージという言葉が出てくる。トリアージは震災当時は社会には浸透していなかった。また蘇生中止の他、軽傷者は他の科に振り分ける対応も取られた。この日、県立淡路病院では平常時の約10倍の傷病者を治療したという。やむを得ない判断で命を諦めることが当時若かった水谷さんに重くのしかかる。震災後、蘇生中止の末亡くなった遺族と再会したとき「自分が情けないというか、どう声かけたら良かったのかなっていうのが今でもわからないんですけど」などと涙ながらに振り返った。