映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀バタフライエフェクト)
1992年にソ連軍が押収していたヨーゼフ・ゲッベルスの日記が発見された。ナチの台頭から壊滅までの日々がマイクロフィルムに記録されている。ヨーゼフ・ゲッベルスは小児麻痺の影響で右足が不自由だったという。ゲッベルスはドイツの名門であるハイデルベルク大学で博士号を取得し、文筆家の道を志した。ただユダヤ人が経営する出版社で自身の作品が採用されないことから失望することになり、それがユダヤ人への憎悪になったという。そうした中でゲッペルスはヒトラーの主張に感銘を受けて、ナチ党に入党し政治家になった。ナチ党は選挙で議席を取ったが、当時はキワモノ扱いされていたという。
国会進出から5年後。ゲッペルスはナチ党の命運をかけた選挙戦の指揮を任された。ゲッペルスの仕事はキワモノ政党と思われているナチ党をあらゆる階層に支持される国民政党へと発展させることだ。そして1933年にヒトラーが首相に就任した。ゲッペルスは外国へ対して領土拡大の野望を否定し続け、国内ではヒトラー独裁を盤石にするために宣伝省を作り大臣になった。その後、ゲッペルスはマクダと結婚し、6人の子どもを設けた。
ゲッペルスの数々の功績にヒトラーは最大級の賛辞を贈った。ゲッペルスのプロパガンダは日本も注目していた。ゲッペルスの宣伝戦略は日本の戦意高揚のための手本になったという。ただゲッペルスはリダ・バーロヴァに夢中になり、そのことによってマクダとの離婚話になり、それがヒトラーの怒りを買った。その後、ゲッペルスはポーランドでドイツ系住民が迫害されているというプロパガンダを展開し、ドイツはポーランドへ侵攻した。一方でアメリカではヒトラーの独裁を風刺した映画「独裁者」がヒットし、ゲッペルスはネガティブキャンペーンを展開した。
開戦から4年後。ドイツはソ連のスターリングラードで大敗した。国内で敗戦ムードが漂うようになり、ヒトラーは人前に姿を現さなくなった。ゲッペルスはヒトラーに代わり、国民に総力戦を訴えた。ヒトラーはゲッペルスを総力戦の指導者に任命したが戦況は好転しなかった。そのためヒトラーはナチ党幹部から見限られ、ヒトラーは次の首相にゲッペルスを指名し、翌日命を絶ったという。しかしゲッペルスは妻と子どもを道連れにヒトラーの後を追って命を絶った。
2018年のアメリカではナチの思想を掲げるネオナチが盛んにデモ活動を行っている。宗教や民族間の対立を煽る動きが各地で始まっている。ゲッペルスはプロパガンダについて「プロパガンダは人々を説得し、ある考えに駆り立てることができれば良いのである」と語っているという。