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オープニング映像。
ラジオ放送が始まった1925年までを遡る。ラジオの番組表の中に出てきた言葉を徹底的に拾い集め、そこに現れた変化を探った。1920年代は「平和・教養」「欧米・貿易」に関するものが多かった。30年代に近づくと「アジア・資源」に関連する番組が増えていった。33年辺りから番組の内容が「軍事・娯楽」に変化した。
1925年にラジオが登場。街頭ラジオが設置されるやいなや街中の人が群がった。活字とは違う速報性や臨場感、娯楽も届けてくれる夢の箱だった。1937年から1938年の間にラジオは役割を大きく変えていった。満州事変以降、戦争への道を走っていた日本では経済や生活の全てを政府が統制することを認める国家総動員法が成立。国民を戦争に動員するための道具として政府が狙いを定めたのがラジオだった。手本としたのはナチスの宣伝戦略。この時期、ラジオ局には政府の役人や軍人が次々と送り込まれた。人々の戦意を高めるために娯楽番組をも利用していった。それまで良いとされていたのは客観的に情報を伝える淡々調と言われる読み方だったが、雄たけび調と呼ばれる感情を加えた伝え方に変わり戦意高揚の役割を果たした。早稲田大学の渡邊教授は耳に届く声の変化が感情にどう影響を及ぼすのか研究している。約100人が参加した実験の結果、声の変化で感情が影響を受ける傾向が明らかになった。
音声には文字情報と伝わり方がある。人間の脳は大きく分けると感情的な情報と理屈っぽい情報を処理する回路を持っている。感情の回路のほうが情報を受け取りやすい。
テレビのドキュメンタリー番組の始まりと言われる「日本の素顔」はテレビが登場した当時の熱気を伝えていた。音声と映像の療法で伝えるテレビは人々を虜にしていった。民法ではCMが急ピッチで拡大。テレビの影響力に目をつけた広告代理店が放送局にも陣取る姿も映し出されている。
感情的な情報を処理する回路と理屈っぽい情報を処理する回路が同時にうまく刺激されると、情報をよりよく理解することができる。
1950年代から全国で明るみになり始めていた公害問題。テレビはこのテーマに向き合う中で公共的な役割を果たそうとしていく。テレビは謎の奇病と言われた「水俣病」をいち早く全国に伝えた。テレビは償いを求める人々の姿を追った。ドキュメンタリー「埋もれた報告」では病気が早い時期に確認されていたにも関わらず10年以上に工場排水は流され続けたと伝えた。浮かび上がってきたのは経済成長を優先するがために被害の防止策を怠った企業と行政の姿だった。法政大学の小林直毅教授は、テレビは公害と向き合うことでメディアの役割を自覚していったのではないかと指摘する。
パブリック(公共)は国家ではない、ひとりひとりから始まると映像を通じて知らしめてくれたと姜は言った。
取材をした大治浩之輔さんは胎児性水俣病の若者たちに話を聞いた時、患者の気持ちをわかっていなかったと衝撃を受けたという。責任を追及するという気持ちになった。
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公共空間は共感と理屈でつくられると姜は言った。第三者が発信することが大切だと平野は言った。テレビは全国メディアだからこそ影響力を持てたが、今はSNSを始め細分化され結びつきが分断されたと姜は言った。
テレビの番組表で出てきた言葉どうしの関係の強弱を距離で示した。60年代から70年代前半にかけては「制度・秩序」「現実・生活」 に関連した番組が多かった。80年代に向かっていくに従ってテレビの姿勢が変わっていった。
1980年代、フジテレビのワイドショー「3時のあなた」がお茶の間の話題をさらっていた。この時期、競うようにワイドショーを作り始めた民放各局。“ロス疑惑”のような扇情的な事件や劇場型犯罪、人気の動物の話題など井戸端会議のテーマになるようなネタなら何でも取り上げていった。当時のワイドショーのスタッフたちは見られるネタを揃えるため懸命の努力をしていた。この傾向に拍車をかけたのは視聴率調査の速報性が向上したことだった。さらに、カメラがフィルムからビデオに変わったことで取材から放送までの時間が格段に短縮。当日の出来事もテーマに加えることができるようになった。現場で伝えるリポーターの登場は視聴者の心を揺さぶった。カメラの機動性を生かした演出もこの頃から始まった。テロップもより刺激的な手書きのものに変化した。
情報処理するエネルギーには限界がある。感情の回路は理屈の回路に比べるとエネルギーの消費が少ない。ワイドショーは負荷を減らすために理屈っぽさを減らし感情的な情報を増やしていった。
NHKスペシャル「電子立国 日本の自叙伝」の取材したディレクターが自ら出演し、実物や模型を使って説明していくといスタイルは当時としては画期的なチャレンジだった。
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インターネットの登場は誰もが情報の発信者になることを可能にした。インターネットの力で草の根からの民主主義が実現できるのではないかと期待された。大企業が芸術家の団体に不当な圧力をかけると瞬く間にその情報が拡散し、世界中でその企業の製品のボイコット運動が展開。結果、市民が企業の思惑を退けた。しかしその後、人々のインターネットの接し方は少しずつ変化していく。きっかけのひとつはSNSの登場。このSNSを動かしているのは個人情報を元にしたアルゴリズムで、自分好みの情報を選んで与えてくれる。気に入ったコンテンツをシェアして広めることができる機能や、いいねを送りあえる機能もユーザーの心を捉えた。SNSのユーザーには大量の情報があふれる社会から逃避し、短いテキストや楽しい動画に逃げ込みたいという衝動があるという。
SNSの中には感情の回路を刺激するアルゴリズムが含まれている。阪神・淡路大震災と東日本大震災の根本的な違いはインターネットで発信できて受信できることで、SNSが公共に資する一面もある。双方向の情報発信は意味があるが、問題はフェイクだ。受け手がコントロールできないほどの中毒性が備わっているのは問題だという。インターネットの時代になり、テレビは「市場・消費」に関連した内容に変わっていった。
2024年5月、ドイツ・カナダ・ベルギーの公共放送が集まって行われたメディアの未来を考えるシンポジウム。席上飛び出したのは「従来の放送よりもインターネットに重きを置く」ことを想定した発言。その背景には各国が直面する社会の現実が。ドイツでは極右政党や急進左派政党が躍進。極端な意見を持つ者同士がぶつかり合い、社会に攻撃的な空気を生み出している。かつては討論の場としてテレビが使われていたが、インターネットの普及により人々のテレビ離れが進んだ。今、「公共」としてのあり方が問われている。ドイツ公共放送のZDFでは「公共空間を育てるシステム(パブリックスペーシズインキュベーダー)」を導入。番組のサイト上のリンクをクリックするとそのニュースを議論する場に誘導される仕組みで、連動している番組は1つだけではなく複数の番組から議論に参加することができる。
平野は「テレビが見られない、NHKが見られないっていう時にどうしてもコンテンツが悪いんじゃないかって思ってしまうんですけど、改めて項目をもっと細かくしてアンケートを取った方がいいと思う」と提言。視聴者が知りたい情報とは何かについてNHKはもっと耳を傾けるべきだと話した。
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