コクヨ 黒田英邦 トップへの岐路

2025年6月15日放送 16:20 - 16:39 テレビ東京
プレイングマネジャーの勇断〜トップへの岐路〜 創業家SP

コクヨの創業家出身、5代目社長の黒田英邦。留学後コクヨに入社するか、別の会社で修業を積むかの岐路に立たされる。悩んだ末、コクヨへ入社することを決めた英邦だが入社するには当時会長を務めていた祖父・しょう之助に許しを請わなければならなかった。英邦が「入社したい」と伝えるとしょう之助は「黒田家の人間は人の3倍働きなさい」と言ったという。人の3倍働かなければ周りから認められない。創業家の人間はそれくらいの覚悟を持てと諭された。2001年、晴れてコクヨへ入社した英邦はまず大阪の本社で研修にはげんだ。その研修で同じ班だったのが同期入社の谷治。当時英邦の実家へ遊びに行った時の貴重なエピソードを教えてくれた。初給料の明細が実家の冷蔵庫に貼ってあったそうで黒田家の中ではすごく重みのある初給料の明細なんだろうと感じたという。研修を終えた英邦はオフィス家具部門に配属され企業相手の営業担当になった。様々な企業と渡りあう花形部署の営業マン。それは御曹司として恰好の船出だった。そこで英邦の上司になったのが井田。鼻息の荒かった英邦に「営業マンの経験を摘みに来たのか?一流の営業マンになろうと思っているのかどっち?」といじわるな質問をしたそう。すると英邦は半怒りになり「営業マンになりにきたんです。何を聞いているんですか」と怒ったという。一方英邦も創業家として特別扱いされたくないと人一倍プレッシャーを抱えていたという。結果が求められる厳しい現場で学んだことで英邦は社内で大きな成果を上げていく。
入社4年目の2004年、英邦はオフィス家具部門の経営企画部に移動。肩書は係長や課長をすっ飛ばし「部長」。30人以上いた同期のなかで異例中の異例とも言えるスピード昇進だった。英邦は部下6人を率いる「プレイングマネージャー」としてチームで結果を残そうと新しい試みに挑む。それはオフィスのレイアウト。当時はオフィス家具を購入してくれたときの無料サービスだった。決まった形でしかなかったレイアウトを顧客目線に立ってデザインし、お金をもらうビジネスにしようとしたのだ。結果は上々。顧客目線の新たな試みが上手く行ったことを社員たちに伝えると一気に設計部門が提供するサービスのレベルがどんどん上がり、結果的にやりがいを持ち楽しそうに仕事をするように変わっていったという。英邦は社員のやる気に火を付けられたら商品やサービスの質が上がり会社も変わると感じた。コクヨが手掛けるオフィスのレイアウトは今ではそれぞれの企業の働き方や企業風土に合わせて他社オフィスの空間設計を行っている。例えば「カップヌードル」でおなじみの「日清食品」の東京本社。こちらのオフィス全体の空間設計はコクヨが担当した。ガレージをイメージした組み換え可能な鉄製のパイプを使い自由にレイアウトできるようになっている。コクヨのオフィスの空間設計は評判となり大きな収益を上げている。トップへの階段を着実に歩んでいくように見える英邦だったが…。
当時のオフィス家具事業はある問題を抱えていた。それは製造と販売が分社化されていたことで連携がなくなり対立構造が生まれていた。入社以来オフィス家具の販売会社にいた英邦は入社7年目には販売側の取締役に就任していた。一方、販売側と対立する製造会社の内藤は「販売側はお客からの要望という理由で製造側に様々な要望を言ってくるので仲が良いというわけではなかった。」と話す。対立からの転機は「リーマンショック」。オフィス部門全体で36億円の赤字を計上したことだった。英邦は社長を務めていた父・章裕との食事の際、オフィス家具の現状を変えたいと訴えた。何度も訴えかける息子に章裕は「分かった。だったらお前が立て直してみろ。」と答えた。父から事業の立て直しを命じられた英邦はまず製造側の声を聞いてこいと製造会社へ移動させられる。地道に製造会社の現場を聞いて回ると赤字は販売会社のせいだという。一方前にいた販売会社側では製造会社に文句を言っていた社員が多かった。互いが責任をなすりつけ合うばかり。一番の問題点は両者が対立することで販売会社が接する客の声が製造会社に届かなくなっていたこと。そこで英邦は別会社だった製造と販売をひとつに統合することを提案。その後その社長に就任した。しかし仲の悪かった同士すぐに連携などできるわけがなかった。一つの方向に導くためにどうマネジメントしていくか。創業家ならではの上意下達。いわゆる「トップダウン」なのか、白から意見を吸い上げる「ボトムアップ」なのか。英邦は部長以上の役職者を熱海の旅館に集めた。コクヨを変えた「熱海合宿」だ。まず本気度を示すために「3年以内に黒字にならなかったら僕は責任を取って辞めます。」と切り出した。英邦は自分の覚悟を伝え参加者にも思いを吐き出させた。当時製造側の部長だった内藤もこの合宿へ参加していた1人だった。熱海合宿がきっかけで生まれたオフィス家具が「サイビシリーズ」。外資系企業には高級感あるデザインが好まれるのでは、と販売が製造に伝えて開発した。従来品と比べ3割ほど高い価格帯だったが狙いがあたりヒット商品になった。英邦にとってもこの経験は大きいものになったという。熱海での合宿のおかげか赤字転落から3年後、約1億円の黒字化を果たした。
そのころ4代目社長の章裕は社長最後の大仕事、後継者選びに頭を悩ませていた。これまでのコクヨは創業以来黒田家が経営を担ってきた。特に2代目社長のしょう之助がそのカリスマ性で会社を大きく育て上げた。だがいつからか社内には閉塞感が漂い、様々な問題が表面化していた時期でもあった。ここで章裕にも大きな岐路が。息子・英邦に社長を託すのか、別の人間に託すのか。章裕の決断はゼロからのスタート。外部から社外取締役を招き、次の社長を選考する人事委員会を立ち上げた。フェアな目で次期社長を選ぶため章裕は選考を委員会に委ねた。その1人が電子機器メーカー「オムロン」の元社長・作田久男さん。作田さんは章裕に「自分としては黒田にはこだわっていない。コクヨの社員を引っ張ってくれる人が社長になってくれたらいい。」と言われたという。候補は英邦を含めた社内からと外部から招いたプロ経営者の合わせて6人。数ヶ月に及ぶ選考の末、人事委員会が指名したのは英邦だった。だがそこですんなりとは決まらない。というのも社長の章裕、当時副社長だった章裕の弟・康裕、そして英邦の3人で話し合いの場を持つことに。「まだ若い」という2人のやり取りにすっかりやる気になっていた英邦はビジネス人生で最大岐路を迎えた。父と叔父の判断に任せるのか、自分の意志を伝えるのか。英邦の決断は「僕にやらせてほしい」と2人を説得することだった。2015年、英邦は39歳の若さで創業家の5代目としてコクヨの社長に就任した。とある日、コクヨの品川オフィスを訪ねると若手社員とコミュニケーションをはかる英邦の姿があった。現場の声を積極的に汲み取り、社員たちがチャレンジしやすい環境を作る。これまでの創業家のトップダウンからボトムアップへ。それが英邦流のマネジメントだ。


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