シリーズ戦後80年 レプリカ〜被爆遺品の伝言〜

2025年8月2日放送 4:51 - 5:07 テレビ朝日
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今回は被爆80年。被爆遺品の伝言を特集。原爆資料館は年間200万人以上が訪れる。開館以来の累計来館者数は今年8000万人を超えた。薄暗い管内にも多くの写真が。あの日、キノコ雲の下にいた被害者たちの遺品で構成されている。展示の中心は、被爆遺品。突然命を奪われた人々の遺品が展示される。原爆投下から10年後に開館した原爆資料館は、被爆直後を想像してもらおうと被爆者の姿を再現した人形をおいていた。その方針が変わったのは2019年。人形は撤去され被爆死した人の遺品や、被爆者が描いた絵など実物を重視する展示に。館内では被爆証言を行われている。
記憶が鮮明で、年々語れる被爆者が減少している。遺品が悲劇を語り続けている。実物重視の資料館で遺品のレプリカが作られていたが、館内で展示されることはなく、存在はほとんど知られていない。30年以上、京都でレプリカを作り続けているという和久田さん。広島市の委託をうけて、これまでに30点近い被爆遺品のレプリカを手がけてきた。取り掛かっていたのが懐中時計。本物は金属だたレプリカでは樹脂で耐久性のある素材で仕上げた。原爆の衝撃でつたであろう、キズや汚れは絵の具を塗り重ねることで実物を忠実に再現。芸術大学を卒業し、京都市内の会社で文化財などの修復を行ってきたという。そこで担当した仕事の一つが遺品のレプリカ作りだった。しかし3年前に部署が閉鎖。会社に残る選択肢もあったが、独立を決断した。完成するまで数ヶ月から半年程度かかるという。この時計は原爆資料館 図録の表紙を飾るなど代表的な遺品の一つだった。
二川清司さんの祖父はあの懐中時計の持ち主。息子からプレゼントされたものだったという。祖父はこの時計を残し被爆の2週間後に死去。その後寄贈された時計は館内の目立つ場所に展示された。しかし2015年に事件がおこる。針が折れていることがわかったが金属の劣化のためだった。いつか来るその日を見越して30年前に資料館として初のレプリカ制作に踏み切ったのは原田浩さん。きっかけは1995年。アメリカで初めて開催した海外原爆展。アメリカに遺品を送ったというが、帰ってきた遺品の状態がよくなかったという。そのために外へ貸すわけにはいかないと、レプリカを作る必要があると感じたという。当時は本物でないと伝わらないのでは?という意見もあったが、国内外から遺品の貸出依頼が舞い込んでくる状況に、レプリカを作ろうと考えた。こうして初めてのレプリカの3点が完成。これまでに50点がつくられ国内外の原爆展で、人知れずその役割を果たす。2023年には、G7広島サミットにあわせて開催された原爆展。2歳で亡くなった男の子が履いていたパンツも和久田さんが作りあげたもの。和久田さんは作り上げていくうちに涙が流れることもあるという。被爆から80年経過した今も、年間数百点が寄贈される。そのうち、館内で展示されるのはほんの一部。置くは資料館地下の収蔵庫にあり2万点以上あるという。保存に適した湿度や温度の中で保存され、人の立ち入りもほとんどされない。


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