テレメンタリー2025 (テレメンタリー2025)
浜松大空襲で九死に一生を得た木津正男さんは98歳。当時18歳、軍の仕事を請け負う技師だったため出征は免れた。住民避難を誘導し家に帰ってきたところ、ナパーム弾を被弾。5ヶ月間にわたり生死をさまよい、背中に刺さった爆弾の破片は手術でも取り出せなかった。これまで国に補償を求めてきたが、議員や大臣には話を聞いてもらえず。国は旧軍人や遺族に総額60兆円の補償をしているが、ほとんどの民間人には補償をしていない。
大阪府堺市に住む安野輝子さんは86歳。鹿児島で空襲に遭い左脚を切断した。当時6歳、病院では治療を受けられず。戦後、家族と大阪に移住。サンフランシスコ講和条約で日本は連合国への賠償請求権を放棄していて、安野さんの訴えも聞き入れられず。敗戦国のドイツやイタリアは民間被害者に補償を行っているが、日本ではこれまで救済法案が14回提出されるもいずれも廃案に。補償を阻む要因の1つは「受忍論」の広まり。戦争は国家の非常事態なので等しく我慢しなければならなず、国に補償の義務はないとする考え方のこと。