国際報道 (取材
チョルノービリ事故から40年となった先月26日、現地では追悼式典が行われ、ゼレンスキー大統領などが出席した。1986年4月26日、チョルノービリ原発4号機の原子炉の出力が上昇して暴走、爆発・火災が発生、大量の放射性物質が放出され、原発の運転員など約30人が死亡した。国連によると周辺に住む子どもたちが多数、甲状腺がんを発症するなど健康被害が広がったとされている。周辺の地域では今も高い放射線量が計測され立ち入りが厳しく制限されている。ビクトル・クチンスキーさんはチョルノービリ原発に人生の多くを捧げてきた。事故直後の5月上旬、当時原子力を専攻する大学生だったクチンスキーさんは突然現場に行くよう大学から命じられた。何が起きたのか知らされずに現場に向かわされたクチンスキーさん。原発に入るための許可証が手渡されたキーウで試しに地面の放射線量の高さを調べたときに事故の規模がようやく見えてきたという。担ったのは除染作業に向けて現場の放射線量を測定する業務。原子力に関わる技術者の使命感から被爆を顧みず作業に当たったという。そして、クチンスキーさんは原発で働く道を選んだ。2000年当時、事故を起こした4号機以外は稼働していたため、クチンスキーさんは原発で10年余運転員として働いた。しかし、2000年最後まで稼働していたこの原発も欧米からの強い要請を受けてついに停止。クチンスキーさんを喪失感が包んだ。それでもクチンスキーさんと原発の関係は途絶えることはなかった。あらたに与えられたのは廃炉部門のトップという未知の業務だった。1号機から3号機の解体は2060年代までかかるとされているが、4号機については今も溶け落ちた核燃料200トンが手を付けられないまま残されていて、先は見通せない状態だという。そしていま、原発の安全性は新たな脅威に直面している。チョルノービリでは去年、事故を起こした4号機の原子炉を覆うシェルターが無人機による攻撃で損傷。応急的な修繕はされたものの、いまも周辺では無人機の飛来が相次いでいる他、南部のザポリージャ原発の原子炉の冷却に必要な、外部からの電力供給が度々途絶えている。イランでも原発の近くに攻撃があるなど今や戦時下で原子力施設の安全が脅かされるリスクが現実のものとなっている。事故から40年原発の安全性を考え続けてきた当事者として、クチンスキーさんはこうした状況に強い危機感を抱いている。
