日本のチカラ 日本のチカラ
亀澤理穂さんは補聴器をつけても音はわずかに聞こえる程度だという。娘の結莉ちゃんとの会話は声と手話のハイブリットで娘も手話をかなり覚えてくれた。そんな娘のために叶えたい夢があるという。東京都出身の理穂さんは実業団の卓球選手だった父の影響を受けて6歳で卓球を始めた。18歳でデフリンピックの代表になり4大会に出場。銀と銅あわせて8個のメダルを獲得した。残るは金メダル。今回100年の歴史で初めて日本で開催されるデフリンピック。理穂さんは金メダル候補。その練習も激しさを増している。出産前、本当に育てられるのかと不安もあったという。言葉を覚えた頃に何度も聞き返す理穂さんに娘は苛立ち泣いたことも。そんな時は両親にテレビ電話をかけてゆっくり時間を書けて心を通わせてきた。
娘を保育園に送ると地下鉄で移動し職場へ。電気や空調工事を行う総合設備会社で、人事事務の仕事をしているが3年前に転職した。一度は卓球をやめ、育児に専念しようとしたが両立の道を歩き始めた。仕事では会話や込み入った話は万全を期し、音声認識アプリも使用している。理穂さんはアスリート社員で週3日の午前中のみで午後はトレーニング。指導するのは父の真二さん。デフリンピックでは日本代表の監督もつとめ、一番近くで見守ってきた。デフリンピックでは補聴器の使用は認めてられておらず、心地よく響く音のラリーは理穂さんには聴こえていない。
デフリンピックに理穂さんは13歳の頃に初めて知ったという。出場する選手の姿勢に衝撃をうけた。耳が聞こえないことも補聴器をみせることも恥ずかしいことではないと感じたという。練習を終えると娘の迎えに向かうが、娘がいるから過酷な練習にも耐えられる。帰宅は午後7時頃で、座る間もなく洗濯や夕食作りを行う。住み慣れた家とはいえ、想定外のこともあるという。娘はまもなく小学生になる。
第77回東京卓球選手権大会が開催したが、デフリンピックと同じ開催地だという。実力を試すがこの日はダブルス。この日はストレート負けで課題の残る完敗に。後日、千葉県のフィットジムにやってきた理穂さんは月に2回ほど行うトレーナーによる体のケア。歪みを矯正し体幹トレーニングを行う。久しぶりの休日には娘と遊園地に向かった。