ローマ教皇 世界との格闘

2026年3月2日放送 22:05 - 22:44 NHK総合
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19世紀は政教分離を掲げる近代国家が台頭しており、カトリック教会の権威は揺らぎ始めていた。1870年にはイタリアにローマを占領されてバチカンは政治的にも宗教的にも中途半端な状況になった。教皇は自らを「バチカンの囚人」と称して社会との関わりを絶った。その後、レオ13世は信頼回復に務めて労働者の権利を養護した。1929年にイタリアのムッソリーニはカトリック信徒の支持を取り込むためにバチカンと和解し、このことでバチカン市国が誕生した。一方でソ連などの共産主義は無神論を説いており、ドイツでは共産主義革命運動が起きていた。そうしたドイツの中でバチカン大使として滞在していたのがエウジェニオ・パチェッリだ。後のピウス12世だ。ヒトラーとエウジェニオ・パチェッリは政教条約を締結しユダヤ人迫害に利用した。
ピウス12世が即位してから半年後にドイツはポーランドに進出して第二次世界大戦が勃発した。バチカンは中立を宣言したが、独ソ戦が始まるとピウス12世はドイツを支持するかのような声明を出した。占領下のポーランドには後のヨハネ・パウロ二世であるカロル・ヴォイティワもいたという。ローマ教皇へはユダヤ人迫害を告発すして助けを求める手紙が少なくとも1万通送られていたという。そうしたことからピウス12世はこのことを諌める声明を出している。一方で教徒の中にはドイツ戦犯の逃亡を手助けする者もいたという。ピウス12世は死去するまでユダヤ人に謝罪することはなかったという。ただ遺言には深い苦悩が刻まれていたという。
戦争に勝利したソ連はドイツから解放した東欧を支配下において共産主義の波は西へと押し寄せた。バチカンはアメリカと手を組んで、冷戦下の西側陣営の重要な拠点になっていった。キューバ危機ではヨハネ23世が仲立ちして危機を乗り越えることができた。危機から7ヶ月後にヨハネ23世は死去した。
1962-1965年にバチカンで会議が行われて世界と対話する教会への転換を宣言したという。1978年のコンクラーベでナチ政権下で神学を志したポーランド出身のカロル・ヴォイティワがヨハネ・パウロ2世として即位した。ヨハネ・パウロ2世はポーランドを訪問し、人々は抑圧された人々の中に変革の意識を目覚めさせた。そして民主化を求める大きな動きになった。ヨハネ・パウロ2世は暗殺されかけることもあったが、それでもポーランドを訪れて人々を鼓舞していったという。そして東側に初の非共産党政権が誕生した。民主化の波は周辺の国々に広がり、冷戦体制は崩壊していった。
1989年にソ連のミハイル・ゴルバチョフがバチカンを訪れて2日後に冷戦終結が発表された。2000年にヨハネ・パウロ2世はイスラエルを訪れてユダヤ教の聖地で謝罪を行った。21世紀になると聖職者による児童への性的虐待と隠蔽が世界中で次々と明らかになり、教会の権威は揺らいで行った。信頼回復を託されたのは2013年に新教皇になったフランシスコだった。バチカン行政の要職に修道女を登用したり、同性愛者を認めるなどの改革を行っていった。そして2025年にはレオ14世が即位している。


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