情報7daysニュースキャスター (特集)
1945年8月12日、東京・羽田発大阪・伊丹行きの日本航空123便が群馬・御巣鷹の尾根に墜落。乗客乗員520人が死亡した。事故当日、坂本九さんは渋谷でラジオの公開収録に出演。その後大阪へ向かうため日本航空123便に搭乗した。普段は全日空を使うことが多かったが、この日はお盆休みで帰省のピークと重なり、手配できたのが123便だったという。坂本さんは二階席の前方4列目、通路側の席に搭乗していた。午後6時12分に出発後10分ほどで機体に異常事態が発生し、垂直尾翼の約6割が失われていた。異変から6分後、切迫した機内の様子を書き記したり家族へのメッセージを残す乗客の姿があった。123便は気流に流され関東北部の山岳地帯へ向かい、午後6時56分に墜落した。事故当日は墜落場所さえ特定できず、乗客乗員の安否もわからないままだった。坂本九の搭乗が日本中に知れ渡ると、自宅前には報道陣が押し寄せた。事故の翌朝に墜落場所が判明し、自衛隊や消防による懸命な捜索活動が行われた。群馬県藤岡市の体育館には安否情報を求め、3000人超の家族が駆けつけたという。山からは次々と遺体がへリで搬送され、遺体安置所に運び込まれていた。事故から99時間後、坂本さんの遺体発見の一報があった。妻の柏木さんは俳優として復帰し、長女の花子さんは舞台俳優の道へ進んだ。次女の舞子さんは宝塚音楽学校に入学し、それぞれの道を歩み始めた。坂本九さんが最後に歌い、ラジオで一度しか流されなかった「心の瞳」はラジオを聞いた中学の音楽教師によって合唱曲として取り入れられ、全国に広まった。今では音楽の教材にも掲載され、令和の中高生に歌い継がれている。事故から40年、日本航空は事故機体の一部や遺品を自社の施設で展示し、事故関係者による社員向けの講演会を開催。遺族たちは御巣鷹の尾根へ慰霊登山を続けている。