- 出演者
- 三谷幸喜 安住紳一郎 中川絵美里 池谷裕二 菊間千乃
オープニング映像。
出演者が挨拶をした。きょうは番組の時間を30分拡大する。今週は九州で大雨が降っている。きょうこれから明日にかけて福岡県、佐賀県、長崎県、山口県で線状降水帯が発生して大雨災害が発生する可能性が高まっている。
きょうは8月9日。80年前のきょう、長崎に原爆が投下された。爆心地から約500mの場所にあり、2つあった鐘のうち1つが大破していた天主堂の鐘が復活した。ノーランさんは全米を回って講演し600人を超えるアメリカ市民から1800万円に上る寄付を集めた。ノーランさんは「この鐘が希望と平和そして絆を育んでくれれば嬉しい」などと述べた。
三谷幸喜は「昔からえのき茸を開けたときの匂いがなにかに似ているとずっと思っていた。ジャムパンだなってことに気がついた」、安住紳一郎は「なぜ三谷さんは小学生でもないのに自由研究をやっているんですか」、匂いを嗅ぎ比べて「パンのイースト菌の匂いじゃないですか」、「なんとなく分かる」などと述べた。
火曜に開幕した甲子園では様々な対策がとられている。開会式は午後4時に開始。式の途中には水分補給の時間もとられた。試合時間は「2部制」で、開幕から6日間は暑さが厳しい時間帯を避ける。第4試合は毎回ナイターになる。開幕戦は長崎の創成館が3-1で石川の小松大谷に勝利した。審判団の暑さ対策として、帽子とシューズを白に変えた。ミズノスポーツの実験によると、白いシューズは黒いシューズより表面・内部温度が最大約10℃低いという。大会2日目、午前8時から始まった仙台育英と鳥取城北の試合で7回、仙台育英のキャッチャーが熱中症の疑いで足がけいれんし交代となった。仙台育英5-0鳥取城北。続く第2試合でも打席に立った選手がファールを打った直後、突然倒れ担架で運ばれた。開星6x-5宮崎商。
長崎に原爆が投下されきょうで80年を迎えた。水曜には広島でも式典が行われ、世界120の国と地域の大使らが出席した。広島で外国人のボランティアガイドをしている小学6年生の佐々木駿くんがガイドをするようになった理由について「原爆ドームを見てどうして建物がボロボロなのに残っているのかなと思った」などと述べた。原爆の日の式典では佐々木くんと関口千恵璃が世界に「悲劇を風化させず記録として被爆者の声を次の世代へ語り継いでいく使命がある」などと訴えた。
ポーランドで、遮断機が降り始めた踏切に車が進入。立ち往生していたところに列車が衝突し、車の後方部分が大破した。しかし奇跡的に運転席は無事で、運転手にけがはなかったという。
大阪・関西万博で夏休みらしいイベントが開催された。13の国と地域のこどもたちが参加し、約150点の中から優秀な発明品を表彰する「世界青少年発明工夫展2025」が行われた。日本代表の嘉手納杏果さんは小学3年生の頃から発明にはまり、これまでに20作品以上を製作し8個の特許を取得した。今回の発明品は海洋ごみを回収する装置で、小魚を巻き込まない仕掛けが施されているという。嘉手納さんの作品は見事金賞を受賞した。
「世界青少年発明工夫展2025」で金賞を受賞した嘉手納杏果さんについて、池谷裕二は「発明王というより、研究者」などとコメント。菊間千乃は「課題を自分で見つけて、解決策まで探るのはすごい」などとコメントした。
今から40年前の8月12日、お盆の帰省客や出張帰りの乗客を乗せたJAL123便が墜落し520人が犠牲となった。その犠牲者の中に、歌手の坂本九さんもいた。事故から40年という節目もあり、妻が思いを語った。
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- 日本航空123便墜落事故
日航機墜落事故で亡くなった坂本九さんの妻・柏木由紀子さんは、遺族としてことし40回目の夏を迎えた。これまでメディアで事故について多くを語らなかったが、「40年という月日がたち、忘れられたくない」と取材に応じた。坂本九さんは日本人が懸命に働いていた昭和30年代、笑顔と元気を与える前向きな歌詞でヒット曲を量産した。坂本さんと多数共演した黒柳徹子さんは、「テレビの前に家族を一つにした人」などと語った。名曲「上を向いて歩こう」はアメリカでも大ヒットし、ビルボード誌のヒットチャートで3週連続1位を獲得した。この歌は時代をも超え、度重なる大震災やコロナ、事件・事故などな悲しい出来事が起きるたびに誰かが口ずさみ、今に歌い継がれている。柏木さんは1971年に坂本さんと結婚し、長女と次女が誕生した。坂本さんは家族との時間を大切にし、旅行の計画も自ら立てるほどだったという。
1945年8月12日、東京・羽田発大阪・伊丹行きの日本航空123便が群馬・御巣鷹の尾根に墜落。乗客乗員520人が死亡した。事故当日、坂本九さんは渋谷でラジオの公開収録に出演。その後大阪へ向かうため日本航空123便に搭乗した。普段は全日空を使うことが多かったが、この日はお盆休みで帰省のピークと重なり、手配できたのが123便だったという。坂本さんは二階席の前方4列目、通路側の席に搭乗していた。午後6時12分に出発後10分ほどで機体に異常事態が発生し、垂直尾翼の約6割が失われていた。異変から6分後、切迫した機内の様子を書き記したり家族へのメッセージを残す乗客の姿があった。123便は気流に流され関東北部の山岳地帯へ向かい、午後6時56分に墜落した。事故当日は墜落場所さえ特定できず、乗客乗員の安否もわからないままだった。坂本九の搭乗が日本中に知れ渡ると、自宅前には報道陣が押し寄せた。事故の翌朝に墜落場所が判明し、自衛隊や消防による懸命な捜索活動が行われた。群馬県藤岡市の体育館には安否情報を求め、3000人超の家族が駆けつけたという。山からは次々と遺体がへリで搬送され、遺体安置所に運び込まれていた。事故から99時間後、坂本さんの遺体発見の一報があった。妻の柏木さんは俳優として復帰し、長女の花子さんは舞台俳優の道へ進んだ。次女の舞子さんは宝塚音楽学校に入学し、それぞれの道を歩み始めた。坂本九さんが最後に歌い、ラジオで一度しか流されなかった「心の瞳」はラジオを聞いた中学の音楽教師によって合唱曲として取り入れられ、全国に広まった。今では音楽の教材にも掲載され、令和の中高生に歌い継がれている。事故から40年、日本航空は事故機体の一部や遺品を自社の施設で展示し、事故関係者による社員向けの講演会を開催。遺族たちは御巣鷹の尾根へ慰霊登山を続けている。
40年前JAL123便が墜落し、坂本九さんが亡くなった。三谷幸喜は「坂本九さんが亡くなったことで、名曲が生まれるかもしれない可能性もなくなった。その残念さは520人分あり、そう思うときつい」などとコメント。池谷裕二は「記憶を風化させてはいけないが、この事故がCRMという安全運航を達成するためのシステムが世界的に導入されるきっかけになった」などとコメントした。
18位・青森ねぶた祭。今月2日から始まった青森ねぶた祭は高さ5m、重さ4tの巨大なねぶたが勢揃い。7日の最終日には1万2000発の花火と共にフィナーレ、圧巻の光景に観客は大興奮。そんな中お祭りに参戦したキンタロー。のクオリティーが半端ないと話題。「どっちが本物かわからない!」と見た人を驚かせていた。
巨大といえば香川県小豆島にある「小豆島大観音」。建立から30年、老朽化が進み令和の大修復が決まったのだがその作業員の中になんとお寺の副住職も参加。森本泰裕副住職は作業経験もなくこの日のために一ヶ月トレーニング。高所恐怖症の副住職がそれでも今回行う理由は「クライミング工法」を多くの人に知ってもらうためだった。不安定な体勢ながら必死に下地を塗るその姿は修繕というよりもはや「荒行」。10月頃には輝かしいお姿に戻る予定。
15位ポケモン・ハッピーセット。全国各地のマクドナルドが大混雑、その理由は「ポケモン」だった。マクドナルドとポケモンがコラボしたポケモンカード。ちいかわコラボでは転売目的とみられる買い占めが相次ぎ1日で販売終了、子どもたちが購入できない事態となった。今回子どもたちは争奪戦のために早起きして対抗していた。
11位・山下美夢有と12位・桐生祥とアスリートの話題がランクイン。陸上の富士山麓ワールドトライアル、男子100m予選に桐生が出場。9.99でフィニッシュ、8年ぶり2度目の9秒台で「東京2025世界陸上」代表確実となった。
ゴルフの全英女史OPで初優勝を果たした山下美夢有はきのうから妹の蘭をキャディにし凱旋試合に出場。他の選手をカートに乗せ自ら運転する姿も見せた。2日目のきょうはまさかのハプニング。ショットが正確すぎたのかピンに直接当たり大きく弾かれる場面、山下は-4で15位タイ。巻き返しに期待。
9位大阪・関西万博。お盆ウィークに突入し様々な市川團十郎の舞などイベントが行われている。
ちょっと変わったミニ四駆の大会が大盛りあがり。参加者の多くは町工場の大人たち。「第10回製造業対抗ミニ四駆大会」では町工場の技術を知ってほしいと開催。速さは度外視!?魔改造マシンもいっぱい。先月18日にミニ四駆の生みの親である田宮俊作会長(90)が死去、みなさん今回は魔改造にも力が入っていた。クラッシュしても、コースアウトしても色とりどりの魔改造マシンに会場は大盛りあがりとなった。優勝者は“ミニ四駆政制作の匠”、ニコニコ技術部のアズパカさん。田宮会長の思いはこれからも受け継がれてゆく。
