元アナウンサー 秋山和平さん

2024年6月26日放送 11:31 - 11:42 NHK総合
ひるまえほっと 放送100年 伝わることばを求めて

来年、放送100年を迎える。元NHKアナウンサー・秋山和平さんは現在89歳、2年前までスタジオでラジオ番組を制作していた。秋山和平さんは「『私の日本語辞典』という番組を作ったが2022年3月までだった」とコメント。秋山和平さんは昭和33年にNHKに入局。同期のアナウンサーは11人。のちに俳優になった野際陽子もその1人だった。当時のアナウンサー教育を紹介。
アナウンサーの仕事はスポーツ、芸能、現場中継など多彩に広がって行った。ニュースをどう伝えれば良いのか、そのきっかけの1つが昭和49年に始まった「ニュースセンター9時」、キャスターはアナウンサーではない記者出身の磯村尚徳。この登場はアナウンサー達にショックを与えたという。秋山和平さんは「アナウンサーがキャスターをするとき、きちんと伝えよう正確に伝えようと。生き生きしていない、アナウンサーは」とコメント。「冷たくて、官僚的で、一種の権威主義的な話し方」と新聞やメディアから批判の声があがった。
東京のアナウンサー達を中心に1975年「語りことば委員会」を結成、全国のアナウンサーから意見を募り自分たちの課題について議論を始めた。1つがイントネーション、抑揚のつけ方だった。秋山和平さんは「現代、われわれが使っている共通語のイントネーション、自然なイントネーションと違っているような読み方をしている人もいる」とコメント。1980年、日本語の乱れが言われた時代だった。当時の文部省や研究機関は「日本語音声」の研究プロジェクトを立ち上げて、科学的な言葉の研究に乗り出しNHKアナウンス室も参加した。ニュース原稿を改善。伝え方の方法論はその後、日本語センターなどの活動を通してビジネスマンや教員、朗読に取り組む人たちにも広がっていった。秋山和平さんは「私の日本語辞典」を31年に渡って担当した。松平定知アナウンサーの映像。


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