古都・奈良の仏教美術館 薬師寺500年ぶりの復興

2024年2月10日放送 22:06 - 22:17 テレビ東京
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薬師寺は680年に天武天皇が皇后の病気が治るように願って建てた寺で710年に今の場所に移転された。しかし奈良の有力な寺だった薬師寺も長い年月の間に自然災害や戦災の被害にあうことに。戦国時代の戦渦で奈良時代の建物はついに東塔だけになってしまった。そして今に至るまでの500年間は完全な姿を取り戻そうと少しずつ歩んできた。薬師寺に復興の土音が響いたのは昭和の中頃で、2つの塔を持つ現在の伽藍が蘇ったのは昭和の大復興がきっかけ。昭和の復興を指揮したのは西岡常一。最後の宮大工と呼ばれ、西岡はまず金堂と西等の再建に臨んだ。そこで問題になったのは、金堂を1000年残すために必要な樹齢1000年のヒノキの確保。西岡には木に対する強いこだわりがあり、日本では手に入らず、台湾の山奥を四回も訪れ仕入れた。さらに木材の加工のために槍鉋や手斧などの古代の大工道具を復元するという徹底ぶり。金堂は5年の歳月と樹齢1000年のヒノキを使用し1976年に完成した。
西岡は次に西塔の再現に臨む。薬師寺で唯一1300年立ち続けている東塔。東塔について奈良文化財研究所の大林さんは三重で大きい屋根が3枚あるという。その下には裳階と言う部分がありひさしのような部分だという。せりだしては小さくなっているという構造で、西塔の再建は1977年からスタート。西岡は東塔に習って詳細な調査データや手書きの図面をノートにびっしりと記した。そして1981年には奈良時代そのままのスタイルで西塔を再建させた。しかしこの時ガンと戦いながら仕事をしていた。薬師寺の完全な復興を弟子に託し、1995年にこの世を去った。薬師寺には薬師三尊についで人気の仏像が。国宝の東院堂は鎌倉時代に建てられたがその中には国宝の聖観世音菩薩立像が。七世紀末から八世紀はじめ頃に作られた。アルカイックスマイルというギリシャ彫刻にもみられる謎めいた微笑みのことで仏像に気品を与えている。平成に入ると大講堂と食堂が再建された。大講堂は西岡が亡くなるまで関わっていた建物で、後輩たちが見果てぬ夢を引き継ぎ2003年に蘇らせた。2017年には北側に食堂が再建されたが元々は僧侶が食事をしたり、慰霊を行う場所だった。300人は入るという巨大建築で今は多目的ホールに。天井にはアルミで雲をあしらっているが、現代建築のようなあしらえで内部を設計したのは建築家の伊東豊雄。建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞している世界的に評価の高い建築家。食堂の壁面には仏教伝来をテーマにした壁画が。真ん中には高さ6mもある阿弥陀三尊の尊い姿がある。現代のアーティスト達の力によって薬師寺の完全復活に近づいた。


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