報道の日 テレビ報道70年 8つの禁断ニュース
函館空港ハイジャック事件。客室乗務員を介した犯人の要求は「尊師の釈放」と伝わりテレビ各局は、一斉に特別番組に。乗客は皆、テープで目と口を塞がれ機内後方に集められていた。コックピットに明かりがともったのは事件発生9時間後の夜8時前。犯人の目を盗んで撮影された機内。乗客の1人は携帯電話で警察に状況を伝えていた。一方で、搭乗者名簿から1人だけ身元確認が取れない人物が浮上。単独犯と推定した警察は事件発生13時間後にハイジャック機への突入を決断する。このとき警察が最も恐れたのがメディアによる生中継。北海道警察は異例とも言える報道自粛をメディアに迫った。中継映像はコックピットに限定し、捜査員の動きを実況で伝えないこと、ストロボも禁止される。突入のタイムリミットは夜明け前。午前4時2分だった。人名優先のため字幕からの追加:、全ての報道機関が自粛を受け入れる。各局の映像は全てコックピットだけとなり、現場のリポートも制限された。午前3時半、突入の一部始終を生中継とは別のカメラが記録している。サリンの恐怖を完全には拭いきれないまま決死の覚悟だった。午前3時42分、3か所のドアから一気に突入した機動隊員は機内前方にいた犯人を取り押さえた。この瞬間、報道自粛は解除。乗客乗員364人は全員無事。「1人殺した」という犯人の言葉はうそだった。ビニール袋の液体もサリンではなく水。オウム信者と偽って機内を支配しようとした。史上初のハイジャック機突入作戦。成功の影にあったのは異例の報道自粛だった。