かんさい熱視線 (かんさい熱視線)
小松左京さんの秘書だった乙部さんは震災時「他の仕事を断り阪神・淡路大震災に関する仕事に専念する」と宣言。乙部さんは資料を集め、必要だという人物とアポイントを取り続けた。そこには亡くなった方の思いなどを活かさなければという思いがあったのだろうと振り返った。小松さんの次男・実盛さんは小松家の祖先が安政東海地震の際に家財を失った経験があるのだと説明してくれた。また小松さんの母親は関東大震災を経験していた。そうした経緯から「日本沈没」を執筆。その中で高速道路が倒れる描写を盛り込んだが、専門家はこれを一蹴。しかし阪神大震災の際にはこれが現実となった。