2025年1月17日放送 0:48 - 1:15 NHK総合

かんさい熱視線
30年後を生きるあなたへ 〜小松左京と大震災〜

出演者
近田雄一 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。阪神大震災からまもなく30年、これを前に震災に関してのルポ「大震災‘95」が復刊された。著者はSF作家の小松左京さん。我々は小松左京さんが描いた未来をどれだけ生きていられるのか。

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(かんさい熱視線)
30年後を生きるあなたへ 小松左京と大震災

小松左京さんの「大震災‘95」は震災から1年をかけて執筆した震災に関する記録。生前から小松さんと親交があった作家の瀬名秀明は東日本大震災の直後にこれを読み直し、これからのことが物差しのように描かれていると感じたという。

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小松左京の悲願「全貌の記録を…」

番組では保管してある「大震災‘95」の直筆原稿を見せてもらう。この頃、小松さんは連載小説があったもののそれをキャンセルし大震災‘95を執筆したという。地震発生んじょメカニズム・消防の動き・メディアの情報などその情報は多岐に渡る。実際に被災地で何が起きていたのかを大切にしていたといい、130万戸に及んだ断水は人々を苦しめた。また震災にともなった火災に関しても記述。さらに震災にいつ見舞われるかを考えることもなく不意打ちのように被災したとしている。さらに大震災‘95の中で小松さんは「認識ギャップ」という言葉をよく使った。

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大震災‘95小松左京神戸市(兵庫)
小松左京の警鐘 埋まらない認識ギャップ

被災当時、自治体や警察は大混乱に。国の救助活動には初動の遅れが見られた。そして当時衆院議員だった高見裕一氏は被災地の被害を訴えたが当時の防衛庁は動かない。ここに関して小松さんは「国家中枢と地方の認識ギャップの拡大ぶりに絶望的な感覚に襲われていく過程が手に取るようにわかる」と記している。現在は都内で福祉関係の企業を経営する高見さんは「情報をまとめて判断し、行動する組織が必要」と訴える。

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世田谷区(東京)神戸市(兵庫)防衛庁
小松左京と地震「日本沈没」誕生の理由

小松左京さんの秘書だった乙部さんは震災時「他の仕事を断り阪神・淡路大震災に関する仕事に専念する」と宣言。乙部さんは資料を集め、必要だという人物とアポイントを取り続けた。そこには亡くなった方の思いなどを活かさなければという思いがあったのだろうと振り返った。小松さんの次男・実盛さんは小松家の祖先が安政東海地震の際に家財を失った経験があるのだと説明してくれた。また小松さんの母親は関東大震災を経験していた。そうした経緯から「日本沈没」を執筆。その中で高速道路が倒れる描写を盛り込んだが、専門家はこれを一蹴。しかし阪神大震災の際にはこれが現実となった。

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小松左京と被災者の“こころのケア”

小松左京さんの眼差しは被災者の内面に向けられた。当時仮設住宅に住む人達は地域とのつながりを絶たれ、孤独感の中で亡くなる人も少なくなかった。そんな中小松さんは精神病理学者の野田正彰さんと会い、内面のケアに関して聞いた。

「そして、書けなくなった…」小松左京に何が?

連載から半年が経過すると連載には対談が多くなった。この当時小松さんは心身の辛さを秘書の乙部さんに訴えていたという。後に小松さんは自身の体調と鬱状態のようになってしまったという。この後小松さんは長編を執筆することなく大震災‘95が最後の長編となった。

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小松左京と30年後 日本の現在地

現在我々は小松左京さんが語った未来をどれくらい生きていられているのか。例えば水道インフラに関して言えば神戸市では震災を教訓に新たな送水トンネルを作り、いちはやく水を届けられるようにした。また消火栓の水位もしっかり確保している。その反面水道管の耐震化は進まない。実際に大阪市では震災が起きれば45%が断水する。実際に阪神大震災をきっかけに各地から情報を集約するシステムを政府は構築。さらに防災庁の設置も視野に動いている。しかし災害公営住宅では孤立死するケースも多い。専門家は被災者の日常生活のサポートも大切だと訴える。

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兵庫区(兵庫)大震災‘95小松左京神戸市水道局西区(大阪)阪神・淡路大震災防災庁
30年後を生きるあなたへ 小松左京 未来への思い

震災後、神戸大学を中心に震災に関して学ぶゼミが開催されている。のべ12000人が参加したという。小松さんは阪神大震災に関して「未来への遺産としての教訓を作り上げないと」と生前コメントしていた

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小松左京の悲願「全貌の記録を」

小松左京さんと生前親交のあった瀬名秀明さんは日本沈没で記したこと以上のことが起きてショックだったのだろうとし、専門家ですら見抜けないことがあるのだとし、生前小松さんは自身が素人で専門家や被災者の言葉などをまとめるのが作家としての自分の仕事だと考えていたのだろうと推測した。また執筆できなくなってしまったことに関して共感性が強すぎるがゆえに疲れてしまったのではないかとし、こうしたまとめには複数の人物が関わるべきだというのを大震災‘95は示しているとした。

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30年後を生きるあなたへ 小松左京未来への思い

次男である小松実盛さんは「この国は今後どうなるのか」と小松左京さんに問うたという。粗lの答えは「ユートピア」と答えたという。秘書の乙部さんは人を信じていたのだろうと語った。最後に小松さんは未来を生きる人達に学び続けてほしいと願った。

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