ナゼそこ? 波瀾万丈の物語SP
番組スタッフは岐阜県東部の白川口駅から路線バスに乗り、終点で下車。さらに歩いて、標高617メートルに位置する山間の集落へと向かった。そこで暮らしていたのは小林さん夫婦。築100年の古民家で生活していたが、昨年隣の空き家を購入し、現在は引っ越しの最中だという。裕幸さんは、早稲田大学政治経済学部を卒業後、IT関連の会社で働き、20代半ばには月50万円を稼ぐエリート会社員だった。しかし、心身の疲れから退職。さらに34歳のときには婚約者と破局することに。なぜ婚約破棄に至ったのか、そして縁もゆかりもない岐阜県で山暮らしを選んだ理由。その背景を探るべく密着。
「ニワトリランド」と呼ぶ場所では、およそ70〜80羽のニワトリを飼育。卵は多い日で1日20個、冬場は10個以下に減るという。2人では食べきれないため、余った分は直売所などに出荷し、生活費の足しにしている。しかし最近、烏骨鶏が野生のキツネに襲われてしまった。さまざまな対策をしているものの、賢いキツネはなかなか捕まらず、頭を悩ませている。そしてお昼すぎ、裕幸さんが昼食の準備をスタート。「玉ねぎの出汁漬け」「山菜の天ぷら」「自家製納豆の醤油麹和え」など計7品の料理が並び、小林さん夫婦は食事を楽しんだ。
裕幸さんは1976年、愛知県名古屋市に生まれた。父は魚屋、母は小料理屋を営み、姉とともに4人家族で暮らしていた。両親からは「勉強しろ!」と厳しく言われ、やりたいことができない少年時代を過ごした。それでも両親に褒められたい一心で勉強に励み、見事、早稲田大学政治経済学部に合格した。しかしその頃、将来にまったく希望を持てず、睡眠薬を大量に摂取して自殺を図った。死んでいる自分を見せれば復讐になると思ったからと振り返る。しかし、何の異変もなく目を覚まし、生き延びてしまった。それなら「これからは自由に生きよう!」と決意し、東京へと上京した。
世界一周の放浪の旅に出ると、様々な刺激を受け、楽しい日々を送ったという。大学卒業後は名古屋のIT企業に就職し、プログラマーとして活躍。20代半ばには月50万円を稼ぎ、充実した毎日を送っていた。しかし34歳のとき、婚約者と破局。大きな精神的ダメージを抱え、会社を辞めることに。そこで始めたのが、日本各地でのボランティア活動だった。田舎の自然や地元の人々との触れ合いを通じて心の傷も癒え、やがて田舎での自給自足生活に憧れを抱くようになった。
そんな矢先、父親が前立腺がんに侵され、余命を宣告された。父を見舞った際にかけられた「お前がいれば安心だ」という言葉で、これまで自分が愛されてきたことを実感したという。中でも忘れられないのは、自分が作ったスープを「美味しい」と言ってくれたこと。それがとても嬉しかったと語った。2ヶ月後、父は他界。母がひとり残されたこともあり、母の近くで田舎暮らしができないかと家探しを始めた。その中で出会ったのが、現在の妻・由佳さん。お互い愛知県出身で、田舎暮らしを望んでいた者同士、すぐに意気投合。結婚後、田舎暮らしにふさわしい場所を探し求め、たどり着いたのが岐阜県の山間部だった。