張本勲さん 語れなかった被爆体験

2025年8月9日放送 17:53 - 18:05 TBS
報道特集 (特集)

5歳の時、広島で被爆した張本勲さん。半世紀以上もその経験を誰にも語れなかったという。張本さんはその理由について「原爆症を持っている男だと思われるのは嫌だ うつりはしないけど、子どもの頃差別されたところを見ているから言わないほうがいいだろうと」と明かした。「小学校に行ってケロイド姿の先輩たちが何人もいた 父兄はわからないからうつるから近寄るなと」と語った。体に浴びた放射能への恐怖もずっと消えることはなかった。引退後も被爆体験を誰にも話すことはなかった。ところが60歳の頃、テレビで若者が原爆について話す場面に衝撃を受けた。「戦争を知らない どこに落ちたのと言う人がいた」といい、こんな人が日本にいるのかとびっくりしたという。それから、若い人にもちゃんと語り継いでいかないといけないと思ったという。
語り始めた被爆体験。それは壮絶なものだった。自宅は爆心地から約2キロ。張本さんと2歳上の姉は母親に庇われ無事だったが、母親はガラスの破片が背中に突き刺さり大怪我をした。2日ほどして、6つ年上の姉・点子さんが担架で運ばれてきた。点子さんは爆心地近くで被爆し、全身に火傷を負っていた。張本さんは、顔がケロイド状に焼けただれていた、お袋は介護のしようがない、医者はいない、薬はない、自分の衣類を半分引きちぎり水に浸して首筋を冷やした、姉は死ぬまで「お母ちゃん苦しいよ 痛いよ 熱いよ」と言ったそうだと話した。そして点子さんは息を引き取った。家族で原爆の話や姉の話も一切しなかった、形見も一切残さなかったという。つらい経験を語り始めた張本さんだが、被爆の実相を伝える原爆資料館に足を踏み入れることができなかったという。転機となったのは66歳の時。大分県の小学6年の少女から届いた一通の手紙だった。張本さんが毎日新聞のインタビューに、8月6日は大嫌い、5日の次は7日にしてほしいぐらいだねと語ったことに少女は「私は張本さんに8月6日をわすれてほしくないです。なぜなら私のように原爆の本当の恐ろしさを知らない人はきっとたくさんいると思います」と書いていた。さらに少女は、長崎原爆資料館を訪れたことを知ると、張本さんは「子どもが行くんだから俺は何をしているのかと思って」、2007年4月、張本さんは初めて原爆資料館の中に入った。黒焦げの三輪車や、焼けただれた人たちの写真。張本さんは時間をかけてすべての展示に足を止めた。張本さんは、悲しかったけど悔しかったけどしっかりみてまた行こうと語った。張本さんはその後原爆資料館を度々訪れるようになった。
19年前、張本さんに手紙を出した少女は30歳になった。松本利佳子さん(30)hは、当初手紙を書いたことを後悔したときもあったという。松本利佳子さんは「重荷を背負わせてしまったのではという気持ちもあった」という。だが、被爆体験を語り続ける張本さんの姿に、その思いは感謝に変わっていったという。松本利佳子からの手紙を受け取った張本さんは、帰って読み直して御礼状を書いておきますと話していた。
8月6日、松本さんが通っていた大分・日田市の光岡小学校で黙祷が捧げられた。8月6日を登校日にして原爆と戦争を考える。平和学習の一環として大分県のほぼ全ての小学校で50年以上前から続く取り組み。


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