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「広島平和記念資料館」 のテレビ露出情報

5歳の時、広島で被爆した張本勲さん。半世紀以上もその経験を誰にも語れなかったという。張本さんはその理由について「原爆症を持っている男だと思われるのは嫌だ うつりはしないけど、子どもの頃差別されたところを見ているから言わないほうがいいだろうと」と明かした。「小学校に行ってケロイド姿の先輩たちが何人もいた 父兄はわからないからうつるから近寄るなと」と語った。体に浴びた放射能への恐怖もずっと消えることはなかった。引退後も被爆体験を誰にも話すことはなかった。ところが60歳の頃、テレビで若者が原爆について話す場面に衝撃を受けた。「戦争を知らない どこに落ちたのと言う人がいた」といい、こんな人が日本にいるのかとびっくりしたという。それから、若い人にもちゃんと語り継いでいかないといけないと思ったという。
語り始めた被爆体験。それは壮絶なものだった。自宅は爆心地から約2キロ。張本さんと2歳上の姉は母親に庇われ無事だったが、母親はガラスの破片が背中に突き刺さり大怪我をした。2日ほどして、6つ年上の姉・点子さんが担架で運ばれてきた。点子さんは爆心地近くで被爆し、全身に火傷を負っていた。張本さんは、顔がケロイド状に焼けただれていた、お袋は介護のしようがない、医者はいない、薬はない、自分の衣類を半分引きちぎり水に浸して首筋を冷やした、姉は死ぬまで「お母ちゃん苦しいよ 痛いよ 熱いよ」と言ったそうだと話した。そして点子さんは息を引き取った。家族で原爆の話や姉の話も一切しなかった、形見も一切残さなかったという。つらい経験を語り始めた張本さんだが、被爆の実相を伝える原爆資料館に足を踏み入れることができなかったという。転機となったのは66歳の時。大分県の小学6年の少女から届いた一通の手紙だった。張本さんが毎日新聞のインタビューに、8月6日は大嫌い、5日の次は7日にしてほしいぐらいだねと語ったことに少女は「私は張本さんに8月6日をわすれてほしくないです。なぜなら私のように原爆の本当の恐ろしさを知らない人はきっとたくさんいると思います」と書いていた。さらに少女は、長崎原爆資料館を訪れたことを知ると、張本さんは「子どもが行くんだから俺は何をしているのかと思って」、2007年4月、張本さんは初めて原爆資料館の中に入った。黒焦げの三輪車や、焼けただれた人たちの写真。張本さんは時間をかけてすべての展示に足を止めた。張本さんは、悲しかったけど悔しかったけどしっかりみてまた行こうと語った。張本さんはその後原爆資料館を度々訪れるようになった。
19年前、張本さんに手紙を出した少女は30歳になった。松本利佳子さん(30)hは、当初手紙を書いたことを後悔したときもあったという。松本利佳子さんは「重荷を背負わせてしまったのではという気持ちもあった」という。だが、被爆体験を語り続ける張本さんの姿に、その思いは感謝に変わっていったという。松本利佳子からの手紙を受け取った張本さんは、帰って読み直して御礼状を書いておきますと話していた。
8月6日、松本さんが通っていた大分・日田市の光岡小学校で黙祷が捧げられた。8月6日を登校日にして原爆と戦争を考える。平和学習の一環として大分県のほぼ全ての小学校で50年以上前から続く取り組み。
住所: 広島県広島市中区中島町1-2
URL: http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月10日放送 23:00 - 0:12 NHK総合
戦争をどう伝えていくか(戦争をどう伝えていくか)
東京にある私立の男子高校で希望する生徒にVRを体験してもらった。感想や疑問を語り合う中で「広島に行こう」という声が。4人の学生が実際に広島を訪れ原爆資料館などを見学。当時の生々しい記録の数々に「覚悟が足りなかった」などと動揺する学生もいた。兒玉さんが被爆した旧広島第一中学校も訪問。同じく生き残った兒玉さんの上級生才木幹夫さんに話を伺った。才木さんは今の世界の[…続きを読む]

2025年8月10日放送 10:00 - 11:00 テレビ朝日
テレメンタリーPlus戦後80年ノー・モア・ヒバクシャ NEVER AGAIN NAGASAKI
核兵器の影が世界を覆っている。核兵器使用の脅威が高まり、核抑止力への依存が深まる状況も見据え、ノルウェー・ノーベル委員会は2024年のノーベル平和賞を日本被団協に授与した。核兵器廃絶を目指す被爆者と経験や思いを継ぐ若者たちの草の根運動を称えるもの。広島と長崎で21万人以上の市民を殺害した原爆。現代の核兵器は数百万人を一瞬で殺し、文明そのものを崩壊させる破壊力[…続きを読む]

2025年8月9日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
広島出身の元プロ野球選手・張本勲さん85歳。引退後も解説者として親しまれてきた。張本さんは60歳を過ぎるまで誰にも語れなかったことがある。それがあの日の広島での経験だった。1945年8月6日、原子爆弾が広島に投下された。張本さんは当時5歳、紙一重で生き延びた。半世紀以上が経ってからその経験を語りだしたのはなぜか。張本さんは「戦争を知らない。原爆がどこに落ちた[…続きを読む]

2025年8月9日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025テレメンタリー2025
アメリカで日本での核の投下は正しかったのか?と聞いたが色々な意見が聞かれた。世界では今でも続く戦争に対し、トップの意見も様々。一方日本原水爆被害者団体協議会は核兵器について絶対悪だという和田征子さん。同じく被団協の田中煕巳さんも同じく、持っている事自体がおかしいと皆で考えてほしいと答え必ずなくさなければいけないと伝えた。
1945年の8月6日に広島に原爆が[…続きを読む]

2025年8月9日放送 2:55 - 3:50 フジテレビ
被爆80年報道特別番組 彼女が世界に語る理由(被爆80年報道特別番組 彼女が世界に語る理由)
被爆者の小倉桂子さんに密着。コロナ禍の2021年ごろはオンラインで活動。パソコンや携帯電話を使いこなし、動画制作にも挑戦。被爆したのは8歳の時。当時の広島には35万人~40万人が住んでいたが、45年8月6日の原爆で約14万人が死亡。小倉さんが当時いたのは爆心地から2.4kmの自宅前。放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びた。自宅周辺に火傷をした人が次々に逃げてき[…続きを読む]

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