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核兵器の影が世界を覆っている。核兵器使用の脅威が高まり、核抑止力への依存が深まる状況も見据え、ノルウェー・ノーベル委員会は2024年のノーベル平和賞を日本被団協に授与した。核兵器廃絶を目指す被爆者と経験や思いを継ぐ若者たちの草の根運動を称えるもの。広島と長崎で21万人以上の市民を殺害した原爆。現代の核兵器は数百万人を一瞬で殺し、文明そのものを崩壊させる破壊力を持っている。戦後、被爆者たちは占領軍に沈黙を強いられ、日本政府からも見放されていたが、1954年のビキニ事件を機に立ち上がり、核兵器の廃絶を訴え続けてきた。被団協代表委員だった故・山口仙二さんが1982年に被爆者として初めて国連で演説した時に読んだとみられる直筆の原稿が見つかった。その演説は核兵器の非人道性を世界に伝える先駆けとなった。国が起こした戦争で原爆に遭い、苦しみ続ける被爆者になぜ国は治療費を出さないのか。当時25歳の仙二さんは入院した病院で同じ境遇の若者たちとの交流をきっかけに長崎原爆青年乙女の会を結成。3か月後、長崎市で被団協が産声を上げた。家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷跡、被爆者であるが故の差別や生活苦。長い年月を経ても細胞を蝕み続け、がんなどの病を引き起こす放射線の影響。原爆は被爆直後だけでなく、生涯に渡って被爆者の心身を苦しめている。
2024年オスロ大学で行われたノーベル平和賞フォーラム。出席した、長崎原爆の被爆者であり医師の朝長万左男さんは、半世紀以上にあたり白血病研究や被爆者医療に心血を注いできた。現在も被爆者の養護ホームで診療を続けている。また原爆投下を正当化する考えが根強いアメリカで核兵器廃絶を訴えるキャラバンツアーを発案。被爆者や2世、3世らで米国3都市を巡り、計21回の集会で延べ約1000人の米市民と対話した。「特に若い世代に生の声を聞いてもらって、核のない世界を自分たちの世代でつくるんだぞということを考えるきっかけにしてもらえれば」また「被爆の実相を伝えることが大事なんだけども、お願いしてきただけでは今が限界。被爆者として今後核兵器をなくすためにどうしたらいいかという考えを述べた方がいい。(核保有国である)アメリカ人が心の中に受け止めて、自分たちが本当に減らそうと思わない限り、アメリカは手放しませんよ絶対。それは人類に対しての責任ではないか。イギリスでもロシアでもフランスでも同じこと」と語った。ノーベル委員会委員長は日本被団協へのノーベル平和賞授与について「授与すると決めた理由は、彼らが何十年にもわたる努力をして『核のタブー』を創出し維持した功績。道徳的に容認できないと烙印を押す国際規範を生み出し、核兵器のない世界を創る上で果たした役割に対する評価です」「高校生平和大使のことは認識している。新しい世代が責任を引き継ぎ、日本の若者だけではなく世界に伝える方法の一つ。大事なのは、彼らだけの責任ではないということ。被爆者のメッセージを引き継ぐのは地球上全ての人が共有する責任」と語った。
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高齢化する被爆者の願いをつなぐ若者がいる。元高校生平和大使で被爆3世の山西咲和さん。平和大使を務めた2018年以降、7年以上にわたって国の内外で長崎の被爆者の体験や思いを語り継ぐ活動を続けている。「おばあちゃんの笑顔が大好きだったから、その笑顔を奪う原爆って何なんだろうって思い始め、少しづつでも向き合っていきたいという気持ちが芽生えてきた」と語る。これまで多くの被爆者の声に耳を傾け、海外や学校などでも講演を行ってきた。山西さんは高校卒業後海外の大学で国際安全保障や政治社会学などを学んだ。メルボルン日本人学校で祖母の被爆体験を伝える会を行った。「世界の仕組みは一部の人が決めているように見えて、私達市民の動きが大きく関わっている。核兵器はだめだという思いを世界に向けてアピールし続けていくというのは小さくても出来ることかなと思う」と語った。
山西さんはオスロで日本被団協のメンバーと会い、講演を聞いた。朝長さんは「核保有国と非核保有国との境界を乗り越え、若者が世界中で連帯していくことこそ現実的に核をなくしていく近道ではないか」と語る。山西さんは「核のタブーは壊れれやすいものでもあると思う。今まではそれが壊れないように被爆者の方々のストーリーが役に立っていたが、これから先は直接聞けることがなくなってくる。ここからが本当に勝負だなって」と語る。被団協のメンバーは「ノーベル平和賞のメダルは、山口仙二さんや谷口稜曄さんに触ってもらいたい。飛び上がって喜んでますよ」と語る。田中煕巳さんは海外の記者の質問に核兵器が存在するかしないか、使われるかどうかは未来の問題。ぜひ若い人たちにできる限りの力を絞って、皆さんの未来は皆さんで創り上げていくんだと伝えていきたい」と返答。ノルウェー・ノーベル委員会委員長は「世界が核兵器に基づく国際安全保障に依存できると考えるのは浅はか。私達の文明が核戦争を生き延びられると考えるのも甘い考え。それよりも核兵器のない世界を実現する方が現実的です」と語る。
山西さんは第69回国連女性の地位委員会サイドイベント「女性、平和、安全保障」NGOに何ができるか?にてスピーチ。「祖母の思いを語り告げるのは私だけ。被爆者や核実験の被害者だけに重荷を背負わせてはなりません。私たち全員の責任です。長崎を最後の被爆地にするために、私たちは共に学び、行動すべきです」と語った。番組が「世界平和を実現する鍵は何だとおもいますか?」とインタビューした、アメリカなどの若者たちの声を紹介。「平和な世界に必要なのは対話だと思う。争いの本質は分断にある。同じ人間だから協力し合える。目指す場所はきっと一緒だよ」、「原爆投下の背景には、戦争に勝つことや自国のために立ち上がるといったある種のナショナリズムが確かにあったと思う。でも、そういう誇りは平和のためには必要ないと思う」など。
故・東松照明さんは写真を通じ、被爆の実相を叫び続けた。2006年、東松さんは故・山口仙二さんと面会。対話し撮影を行った。東松さんは「仙二さんを撮っても片岡津代さんを撮っても、深層心理的には自分自身。だから他人事じゃない。あなたは私。わたしはあなた。共感」と語る。鈴木達治郎客員教授は「過去の歴史を見たら、奴隷制も、禁煙もEUも、不可能と思われたことがどんどん実現している。そのためには我々が声を上げ続けて、具体的な政策を提案し続けるしかない。諦めたらそこで終わる。いずれ絶対人類は『核兵器は必要ない』『かえって危ない』と認識すると思う。核抑止がいかに危ないものかという認識を広げていけば、いつかは核兵器がなくなると信じている」と語る。山西さんは「私一人でどうこうできる問題ではないけど、ずっと核兵器がない世界に近づきたい。そのために仲間と一緒に進んでいきたいって強く思う。自分に出来る平和教育の形をレベルアップさせるのももちろんだけど、これからもっと具体的な平和をつくる方法を考える人を増やすために、核軍縮のための教育プログラムを作りたい」と語った。故・山口仙二さんは「第三次世界大戦をさせないというのが地球市民の役目。どんなに強いアメリカでも地球市民の声には反対できない」と語った。
