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オープニング映像が流れた。
その場しのぎの薄っぺらい言葉。何を記録したら良いのかわからぬまま取材を申し入れた。斎藤歩さんは、札幌在住の俳優・劇作家・演出家。沼田さんは40年も前に学生演劇を通じて知り合った。同い年だが学年は1つ上野先輩。歩さんはガンと闘っていた。尿管癌で、治療しないと余命半年だと教えてくれた。歩さんの妻で俳優の西田薫さん。取材を進めていくと、ちょっと乱暴な物言いの裏側に妻への思いが隠れていた。
斎藤歩さんは、北海道大学で演劇研究会に入って以来、舞台やテレビ、映画の世界で活躍してきた。これまで250もの舞台を踏み、70作品以上の映画に出演。札幌市や文化庁などから様々な表彰を受けた。北海道演劇財団の理事長として、後進への育成にも取り組んでいる矢先、がんの転移が見つかった。薫さんが企画した朗読劇が近づいていた。薫さんは「いつも厳しい。ちゃんと指摘をしてもらえる演出家が札幌では他にいない」などと話した。家庭での歩さんについて、「短気。すごい色んなところをきちんとするが、私は雑にするのでイラッとして」などと話した。ガンとどう向き合っていくか、夫婦はすれ違っていく。
「百年」を爪弾くは男性と不倫し心中を図るが女性だけが死んでしまう朗読劇。斎藤さんは舞台の演出も手掛けた。古い友人たちと会う機会も作った。西線11条のアリアは路面電車の停留所に死んだ人の魂が集まり特別電車に乗ってこの世を離れる不思議な物語。斎藤歩さんは「生きてる終わるだけのことなんじゃないのかな」などと話した。薫さんは東京にいた。30年前に解散した劇団が再結成し招集がかかった。4か月にわたる全国公演の参加が決まった。
斎藤歩さん・西田薫さん夫婦は三尺玉の花火を見るために釧路大漁どんぱく花火大会へ向かった。その後、斎藤さんは検査で肺や肝臓にガンが転移していると伝えた。薫さんは知り合いから教えてもらった民間療法を進めたが、斎藤さんは拒否した。斎藤さんは舞台「民衆の敵」に取り掛かった。脚本・演出・音楽を担当し、自らも舞台に立つという。芝居の最後の台詞は原作の言葉から斎藤さんが書き換えた。斎藤さんは「最後の台詞を言って暗転した後すぐ拍手が起こらなかった。観客が意味を考えていると思った。観客に渡せたような気がして良い芝居ができたと思った」などと話した。
北海道がんセンター。斎藤歩さんが訪れた。医師は、肝臓の半分くらいに転移しているかもしれないという。医師は「奥さんに仕事をしてもらうのはおすすめできない状況だ」と言った。西田薫さんは、PARCOで舞台をやることになっていた。西田さんは、自身で、やらない方がいいといった。斎藤歩さんを1人にするわけにはいかないと。斎藤さんは、やってほしいと言う。やらないというのは、自分が辛い。やらなきゃダメだと西田さんに言う。最後の瞬間いられなかったとしても、やってほしいという。2025年1月。西田薫さんは東京へ向かった。全国公演は5月のゴールデンウィークまで。がんばれと斎藤歩さんは西田薫さんに声をかけた。西田さんから結婚したいと言われたとのこと。結婚してから、大変だったと斎藤歩さんはいう。8月には歩さんの公演が決まっていた。「劇後鼎談」という。稽古の初日を三か月も繰り上げた。斎藤歩さんは出演する予定でいた。演出する体力がないという。西田薫さんが出演する全国ツアーの札幌公演。斎藤歩さんは西田薫さんの舞台を観ることが心の支えとなっていた。札幌公演を見届けた3日後には入院していた。医師は命が危ない状況だと言う。
5月7日に歩さんが自宅に戻った。母親の紀子さんも近くの介護施設から駆けつけ、歩さん「他人の力を借りないと生きられないことを痛感している」など話した。寝たきりになってもベッドから演出を続けたが、6月には舞台の出演を正式に断念した。6月10日には容態が急変し、翌日未明に息を引き取った。