戊辰戦争と会津

2024年6月4日放送 0:07 - 0:22 NHK総合
歴史探偵 (歴史探偵)

会津藩は新政府軍の侵入を防ぐため、領内に兵力を分散していた。侵攻の可能性が低いと考えられていた母成峠を突破され、各地の兵士は撤退を余儀なくされた。日本大学の淺川教授は工夫次第では防衛ラインを維持できたと考え、同大学の研究者たちの協力のもと、シミュレーションが行われた。城下にバリケードを張り巡らすことで、新政府軍を巧みに誘導し、藩士たちは二方向から攻撃する戦法を駆使する。新政府軍が城に到達した場合、城に陣取る銃撃隊が一斉放火。この戦術であれば、新政府軍は撤退すると検証で確かめられた。実現できなかった要因に指揮官の不足があり、薩摩藩、佐賀藩では指揮官の養成に力を入れていた。
幕府や朝廷と折衝し、情報収集や根回しを行う外交官は公用方と呼ばれた。藩に2桁いれば多いとされるなか、会津藩には36人いたという。藩主の松平容保は都の治安維持を任されたため、有能な人材は公用方に割り当てる必要があった。また、奥羽越列藩同盟の盟約書に着目すると、諸藩の公平な話し合いで物事を決めるべきとされているが、迅速な判断が求められる緊急事態の際には足枷となりかねない。判断の遅れは戦況の悪化へと繋がり、同盟から離脱する藩が続出した。1868年9月、会津藩は降伏した。


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