放送の生みの親 後藤新平とは?

2025年3月26日放送 22:07 - 22:18 NHK総合
歴史探偵 (歴史探偵 放送100年スペシャル)

放送の生みの親、後藤新平とは。後藤新平が生まれ育った場所、岩手県奥州市にて調査。後藤新平記念館にやってくると、学生時代のノートが展示されていた。そこには医学書が書き写されており、後藤新平の仕事の原点は医者だったという。
1882年、後藤は日本を揺るがす事件に関わることになる。自由民権運動のリーダー「板垣退助」が暴徒に襲われ、負傷した板垣の元に駆けつけた医者が「後藤新平」だった。後藤の適切な治療によって、板垣は回復に向かった。板垣から、国家がより良く生きるとしたら何が必要だと思うか問われた後藤は、人間にも国家にも生理学が必要だと話した。生理学を突き詰めると病気の原因や治療の手がかりになる、後藤はそれを国家に当てはめ衛生環境の整備ができれば、より多くの国民を救うことができると考えた。板垣の治療を行った13年後、後藤は国家の病に向き合う。日清戦争を日本が優位に戦う中、中国大陸でコレラが発生した。派遣された24万人の兵がそのまま帰国すれば、国内で感染爆発が起こる危険性があった。対応を任された後藤は、兵士全ての検疫を行うことにした。国内3か所に建設された検疫所に兵士たちを集め検査を行う。
検疫所が作られた場所の1つ、広島県の似島を調査。帰国した兵士は一旦この島に集められた。兵士の乗る船が最初に到着する桟橋が検疫所の入口。兵士たちはコレラの症状の有無で分けられ、症状が出ている者は隔離された。無症状の兵士たちは上陸した後に、高熱の蒸気で衣類や持ち物を滅菌処理した。感染者と同乗した兵士は、無症状でも最大9日間停留。検疫をすり抜けたコレラ患者は37人、後藤の広げた大風呂敷でパンデミックの危機は免れた。


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