時給10円という現実〜消えゆく農民〜

2025年2月8日放送 10:34 - 10:48 テレビ朝日
民教協スペシャル 時給10円という現実〜消えゆく農民〜

菅野芳秀さんは農家を継いで半世紀。妻の佐智子さんは北海道出身の姉さん女房。農家の跡取りとして生まれたが農業に夢や希望は見いだせず東京の大学に進む。学費、生活費は新聞配達で捻出した。大学3年のとき三里塚闘争に加わる。1971年成田空港建設に対する反対運動は激化の一途をたどっていた。地元住民への事前の説明はなかった。「村が壊れる農業がなくなる」。農民たちは子どもから老人まであらが村を挙げて抗った。2月には機動隊を動員した強制的な土地収用が始まった。農民と支援者たちは砦を築きバリケードや立ち木に体を鎖で縛りつけ地下壕にこもって抵抗した。
千葉県の小学校の教師となっていた佐智子さんは農家を支援するため週末三里塚に通った。2人は砦で出会った。強制収用で逮捕された農民や支援者は2週間ほどで461人。芳秀さんもおよそ90日間収容され独房で自分の身の行く末に考えをめぐらせた。大学を1年遅れて卒業した芳秀さんは沖縄で暮らしたあと故郷に帰り就農。待ち受けていたのはコメの減反政策。食生活の多様化などでコメ余りが深刻だった。当初は行政も農協もこぞって反対していたが、気がつけば長井市内で減反を拒否する農家は菅野さん一人になっていた。菅野さんは減反を受け入れ実る前の青い稲を刈った。
菅野芳秀さんが次に直面したのは農薬の空中散布。子どもたちのために止めなければならない。集落の13戸で取り組んだ減農薬のコメは全て生協が高値で買い取った。生協と産地の提携は広がり、およそ10年を経て置賜地方全域で空中散布は廃止された。菅野さんが40歳のとき大きな転機が訪れる。きっかけはアメリカの酪農家の話だった。生ごみをたい肥として活用し、まちの台所と田畑をつなぐ長井市の「レインボープラン」。まちなか町中の消費者がたい肥の生産者。みんなが土づくりに関わる。そのプランは30年近く続き42カ国から3万5000人以上が視察に訪れた。レインボープランの循環が菅野さんの農業の軸。ニワトリは春から秋にかけては放し飼い。ニワトリのふんは田畑の一級の肥料になり田畑から出るくず米や野菜はニワトリの餌となる。小屋の中でもケージではなく平飼い。三里塚の砦で出会った2人は結婚。同志のように半世紀近く生きてきた。


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