新美の巨人たち 新美の巨人たち
1889年に海軍将校の三男として東京・麻布に生まれた柳宗悦。21歳で友人たちと雑誌「白樺」を創刊し西洋美術を紹介し、その目利きの才能を表した。そして、近代彫刻の巨匠のロダンと交流をもったことが、のちの人生を大きく変化させる。ある日、ロダンの彫刻がみたいと日本統治化の朝鮮から柳を訪ねてきた人がいた。18世紀前半につくられた朝鮮の陶磁器は染付秋草文面取壺。ごすと呼ばれる青色の顔料で絵付けした白磁で、柳は一目みるやその小さな壺の虜に。それから柳は何度も朝鮮を訪れて無名の職人が作った作品を収集していた。その過程で陶芸家の濱田庄司ら巨匠たちと意気投合。1925年には全く新しい美の概念の民藝という言葉を生み出した。