タモリステーション 皆が乗った新幹線60年物語
1950年代後半、日本は高度経済成長期に突入。一方で鉄道機能のパンクの問題を抱えていた。問題を解決しようと立ち上がったのは第4代国鉄総裁・十河信二と技師長・島秀雄。1950年代後半に東京~大阪間を繋いでいた東海道本線の列車は最高時速95km。十河と島が掲げた目標最高時速は200km超え。当時の列車高速化を阻む問題は空気抵抗で克服は困難と考えられていた。1957年5月30日、国鉄の研究者たちが超特急構想を発表。
1964年の東京オリンピック開催に間に合わせるため新幹線開業の同年10月に設定。三木は理想的な流線形を探るためフォルムが違う模型をいくつも作成し空気の流れを糸で可視化し風圧試験を繰り返した。風圧試験に費やした時間は約3年。三木は戦時中、海軍航空技術廠に所属し戦闘機の設計を行っていた。技術を人の幸せのために使いたいと戦後、国鉄入りした三木は鉄道車両の設計に携わるように。突き詰めた新幹線の流線形は特攻機のフォルムがルーツになっていた。1962年、初代新幹線設計図が完成。国鉄はいよいよ新幹線の本格的な製造に着手。先頭車両には数十枚の鉄板を使用することになっていたが滑らかな流線形に仕上げるのは並大抵のことではなかった。